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へっぽこベーシスト兼地質屋の卵な大学院生yulico がうだうだと音楽や環境問題ネタや古生物学にまつわる話やただの日記やネタっぽい記事などを垂れ流している,web-log 様の何かです.

yulico の脳はかなりの低スペックですが,マルチタスクには対応しているので内容が散漫になりがちです.また,暴言,毒,下ネタが多分に含まれます.服用には十分ご注意下さい.

(※注意点)
・内輪でしか通じないネタは排除しているつもりです.
・高校生に通じる日本語を書いているつもりです(申し訳ありませんが,中学生以下は想定していません).
・あくまで日記の延長ゆえ,エンターテインメント性は保証しません.

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2010年04月26日

事業仕分け

前回の事業仕分けでは,くだらない愚痴をぼそぼそとつぶやいていたけれど,今回は,以下の金言を引用するに留めます.

学者は<世界のあらゆるものの在り方を究め、1つのレコード(記録)を作ることに興味と使命を感じているのである。ガリレオが地動説を唱えたが、ああしたレコードを探求する意味は、世上にあるすべてのことを明らかにするのが目的であって、人類は次から次へとレコードをつくってゆくことによって進歩発展する。(昭和天皇、朝日新聞10/1/8朝刊磯田道史 この人この言葉より)


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2010年04月04日

さよなら札幌,こんにちは仙台

かなり長らく放置しておりましたが,一応,元気に生きております.yulico です.

実はこっちのほうには全く報告していなかったのですが,今年度末で研究室の引越しに伴い,学籍が北海道大学から東北大学に移ることになりました.……そんなわけで,大学へ入学して以来,8 年の月日を過ごした札幌を離れました(現在は,既に仙台の住居に移っております).

僕が,こうなることを聞いたのは11 月頃のことだったと思います.指導教官殿に呼び出されて,唐突に「東北大学に移ることになったから,ヨロシク!」といわれました(ここら辺の軽いノリは,端から見るとアカハラ的ななにかにしか見えない気もしますが [笑],自分を含めてそーいう研究室なので仕方がありません).それからは,引越しの準備にてんてこ舞いだったり,身内に忌み事が立て続けにあったりで忙殺され続けていたりでしたので,ここのようなweb 上のアウトプットなどが完全に停滞しておりました.そんなわけで,引越しの報告やら,事情の詳しい説明やらもないまま,このblog も半分閉鎖状態で放置することになっていた,というわけです(かろうじて日記のほうは書いたり書かなかったりしていましたが……).

本格的な引越しが2 月から始まって,3 月のはじめには研究室(@北大)が完全に機能停止.僕は,というと,3 月15 日をもって札幌から撤退しました.

いま現在,先に述べたように僕はすでに仙台に移り住んでいるのですが,一応,まだ,北大の学生であり,東北大の学籍はもっておりません(北大には退学届を提出済みだけど,受理は3 月末日になる……という予定だったのですが,blog へのアップが遅くなり,既に4月ですので学籍は移動済みです).そのため,北大にいても研究室がないし,東北大の利用も(ある程度許されているとはいえ)基本的にはできないという,宙ぶらりんな立場になっています.なので,本格的に研究をすることもできないので(とはいえ,やること,やれることはたくさんあるのですが……),ある程度,時間に余裕があります.そんなわけで,札幌での生活のことを色々,思い返してみても良いんじゃないかなー,と思いました.

更新休止明けにすることではないのかも知れませんが,ちょっとだけ僕の思い出話にお付き合い下さい.

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北海道は,自分の生まれ故郷でもあり(札幌ではなく,函館ですが……),大学〜博士後期課程2 年間までの8 年間を過ごした土地であり,その半分以上を占める研究生活の中で歩き回った土地でもあるので,思い入れが深い土地ではあります(正確に言うと,研究という観点でいえば全く縁が切れたわけではなく,僕が業界を去ることがない限り向こう十数年に渡って北海道という土地自体との関係が切れることはないのですが……).しかし,これは自分でもビックリしていることですが,北海道に対して去り難い郷愁のようなものは,あんまり感じませんでした.……かといって,特に仙台での新生活(?)へ向けての「期待感」といった類いの感情が高まっているということではないのですが…….そういえば,自分の故郷と認識している千葉を去るときも,そんなことを思った記憶がないので,そもそも,僕自身がそういうことに無頓着な冷血人間なんだろうとは思います.千葉を離れるときの感情については,いわゆる遠距離恋愛をすることになる上での去り難さはあったと思いますが…….

僕が札幌に住みはじめたのは,2002 年の春のことです.基本的に,それまで,北海道に来るのは夏であることが多かったので,春先の,まだ,路肩に雪のある景色を眺めながら,「とんでもない地の果てにきてしまった……」と思ったことを,よく覚えています.たぶん,その頃の僕は,希望に胸を膨らませる輝く新入生だったことでしょう.もちろん,まさか自分がそのまま博士後期課程まで進学して,都合,8年もここに住み続けることになる,だなんて,想像だにしていませんでした.

当時は,高校時代から付き合っていた彼女を実家のある千葉に残してきており,高二病を拗らせていた僕は,そういう "悲劇的" なシチュエイションを気取っては,それが格好良い……とまでは流石に思っていなかったけど,ある種のコンプレックスのように思っていて,精神状態はダークサイドよりだったと思います.

〜教養時代〜

教養時代(1 年)は,化学系(当時の入試の制度は理学部の中で「数学系」「物理系」「化学系」「生物系」の4系統から2つ選択する,という形式でした.僕は,「生物系」と「化学系」の2つを選択して,第二希望だった化学系での合格でした)の学生だったので,必修教科が理学部中で最も多く,基本の授業単位を取るだけで週の単位数が22 時限,とか,そういう状況で,毎日,8:45 〜18:00 まで授業詰めだったことを覚えています.

そんなわけで,クラスメイトとは授業時間を長くともにすることになり,比較的,はやく仲のいい友達グループができ,そんな連中と,毎週のように飲み会を開いたり,試験対策の勉強会をやったり,徹夜で麻雀に興じたり……,それなりにリア充チックな生活をしていました.

授業やクラスの外の活動としては,フォークソング研究会(フォークソングとは名ばかりのバンド部)に所属して,ベースとドラムをはじめたりしました.また,1年の後期頃から,家庭教師とコンビニでのバイトをはじめました.この頃は,いまよりも体力が有り余っていたので,朝 4:00 〜10:00 までコンビニでバイト→18:00 まで授業→19:00 〜21:00 まで家庭教師のバイト→翌朝のコンビニバイト……というような,いまからは信じられないようなスケジュールで動いていたりしました.その合間に,週に数回のバンドのスタジオ練習,月に数回の短期バイトなんかもこなしていたのですから,我ながらよくやってたなぁ,と思います.

1年の年度末に,1年後期の授業で出会った山本先生の講義に感銘を受けて,高校まで全く縁のなかった地球科学の分野に進級することを決めました.もともと,生物系(特に系統分類学の講座)志望だったのですが,どう言うわけか,興味の矛先がまったく変わってしまったのでした.この辺りの変遷は,いまもって,自分でもよく解りません.その後,まぁまぁ真面目な学生だった僕は,単位取得数と点数が良かったこともあり,すんなりと地球科学科へ進級するのでした(……というか,地球科学科はそもそも不人気学科なので点数が悪くても選考に落ちることはないわけですが……).

〜学部生時代〜

地球科学科進級直後,「地球科学」の王道は「岩石学」であって,かつて自分が山本先生の講義で興味をもったような「古環境学」や「古生物学」といった学問分野は(少なくとも北海道大学では)傍系中の傍系で,それらを扱う授業なんてほとんどない,ということに気付き,壁にぶつかるとともに,急激に学校に対して熱意がなくなりました(……とはいえ,多少のサボリ癖がついたとはいえ,当時のクラスの中では,それなりに真面目に学校に来て,熱心に授業を受けている学生の部類に入っていたと思います.根が真面目なので……).しかし,そんな風に,はじめは一切興味の涌かなかった「岩石学」や「地球化学」なんかのお勉強も,続けていればそれなりに楽しくなってくるもので,一時は,鉱物学〜岩石学の研究室へ入ることも考えたくらいには興味をもつに至りました(その影には,数少ない「古生物」「古環境」系の授業の「面白くなさ」がかなりありましたが…….特に,当時の「地球史」,「堆積学」や「古生物学」などの授業の一部は,教育として成り立っていませんでした.今になってみれば,M 先生の担当していた「古生物学」の授業について思うところもありますが,当時は,本当に退屈な "なにか" だとしか思えませんでした).

学部も3年生になると,座学だけではなく,お遊び程度の野外実習やマトモな顕微鏡実習が始まるようになりました.そうやって,実物をいじって学問の真似事をできるようになると,一時的に離れていた学問に対する熱意が復活し,地球科学全般に興味が湧くようになりました.しかし,その一方で,地質調査実習の指導をしていたK 先生が,本当に学生を育てることに向かない人(学生を育てる気がない人,と言い換えてもいいかもしれません)で,この人の指導を受けた結果,一時的に地質調査アレルギーのようなものを発症して,卒業研究ではルートマップを描いたり,地質調査をメインにするような研究室に入るのは絶対にやめよう,と思ったほどでした(具体的には,「地質調査の面白みをまったく教えられていない」,「(当時の北大の地質教育全般に渡ってそうなのだが)タービダイトと断層と褶曲と不整合の4現象だけを異常なまでに強調するだけで,学問的に広がりがあることを教えられない」,「ルート調査をルーチン化しすぎて,ただの作業になっていた」,「地質図を書くような調査ではなく,1ルートのみの簡素なプログラムで地質現象の広がりのようなものを理解できない」,「挙げ句の果てに,調査時に露頭に近づくことを禁止される」などなど,教育に対する不満点を挙げるとキリがありません).

しかし,何故か,4年生への進級時には,地質調査が研究のメインになるような地層解析学研究室(旧:層位古生物学研究室,現:地球環境史研究室/たしか,僕が4年生になるとともにこの名前に変わりました)に進学することになるのでした…….この心境の変化も,いまもって,理解ができません.夏の地質実習から半年経っていて,地質調査アレルギーのことを忘れていたのか,そもそも地球科学科進級当初の志望であった「古環境」「古生物」を扱う研究室であったからなのか,夏に野外巡検で触れた現指導教官や当時の教授に惹かれるものがあったのか,(これは当時考えていたことですが)厳しい先生についてしばかれた方が,基本的に怠け者な自分には好ましいんじゃないか,という考えが強かったのか……,それらが複合的に絡み合ったのか,とにかく,何故だか,そんな研究室に進級したのでした.

〜卒論以降〜

卒論のテーマは,4月に入ってすぐに「穂別町(現・むかわ町大字穂別)付近に分布する上部蝦夷層群(鹿島層)の地質」に決まりました.5月頃まで文献調査や,車・調査道具の調達に費やし,はじめてフィールドに入ったのが6月初旬だったと思います.このとき僕を調査に連れて行ってくれたのは,いまの僕の師匠で,当時,北大でPD 研究員をしていた高嶋さんでした.このとき,ついで,ということで手伝いとして入った高嶋さんの下部蝦夷〜空知層群のフィールドの道程がキツく,熊だらけで非常に怖かったにも関わらず,最終的に「面白い!」という感想を抱いてしまったのが,その後の僕の運命を決めたのでしょう……orz

卒論時は,7 〜10 月下旬まで,一人で山を歩き回りました(当時は金がなかったので,宿泊費節約のため長期滞在はせず,3 〜4 日くらいを車泊で耐える,という単発調査を毎週くり返す,という調査スタイルでした).この2 〜3 ヶ月の経験で,地質調査の面白さに目覚め,それが,現在までの研究の原動力に繋がっているわけですから,人生って単純だなぁ,と思います.

その後,修士論文,博士論文と,様々な山を歩き回ることになったり,師匠のフランス〜イタリアの調査に同行したり,色々なことはあったのですが,この辺りの出来事は,このblog にも散々書かれていることなので,思い出としてわざわざ振り返ることもないと思います.

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こうやって振り返ってみると,8年は長かったなぁ,と思うとともに,いい加減,あの土地にも馴染みすぎていたので,新天地に移るには頃合いだったのかなぁ,ということも思わないではありません.別に土地に馴染むのは悪いことではないんですが,あんまりにも馴染みすぎると,そこで腐ってしまうことも,ありえない,とは言えないので…….

幸い,ここ2 〜3 週間,仙台で過ごしていて,(学校が山の上の隔離された土地にあり,札幌都心に位置していた北大に比べ,非常に不便であることを除けば)この土地は,なかなか暮らしやすいところだと思いました.まぁ,こんなところに1, 2 年住んでみるのも良いんじゃないか,といまは,思っています.これまで,関東平野のど真ん中である東京・千葉,扇状地の上の札幌市など,平坦な土地にしか住んだことがないので,坂道だらけの町に住むのも,それなりに面白いと思います.

そんなわけで,これから,本州人としてしばらくは生きていくことになるので,よろしくお願いします.
posted by yulico at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | にっき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

「涼宮ハルヒの消失」

こんばんわ.yulico です.かなり久し振りの更新ですが,個人的な映画の感想の備忘です.

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単純にアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を全部見ているので,その続きが映画になったのであれば見ておきましょうか,というのと,「ハルヒ」の映画をわざわざ初日に見にくる客層というものに非常に興味があったので,同じくアニメ全編を視聴済みの相方(ヲタ)を連れて初日最終上映回へ.

映画館に入ると,ビックリするくらいの数のオタクが並んでいました.それはもう,ビックリするぐらいテンプレートなオタク像の人ばっかり.ただ,一部にはカップルとか,古き良きアニヲタみたいなタイプの人もちらほらと見掛けられました.少なくとも,「エヴァ:破」初日の客層のような「あの時代を共有体験としてもつ」という客の一体感のようなものは感じられませんでした(いや,ただ単に僕ら自身が「ハルヒ」に思い入れがないだけなんですが……).

しかし,リアルで「消失長門の可愛さは異常」とか言っているオタクを生で見ることが出来た,という体験自体は貴重なものだったと思います.

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以下,感想(含ネタバレ).

感想をひと言で言い表せば「30 分アニメを 5, 6 本繋げたって,一本の映画はできねーよ!」っていうことに尽きます.

ただひたすらにシーンを結合しただけと言う印象.そして,ただひたすらに冗長(キョンの語りのみによる物語の表現という「ハルヒ」という作品そのものの魅力は "語り部の冗長さ" にあると思うけれど,そういういい意味での冗長さではなく,退屈と言う意味での冗長.語りが冗長なのではなく,シーンそのもの,アニメーションそのものが冗長).多分,原作を知っている人はこういう,原作の全てのシーンを過不足無く映像化していること(?)に満足するんだろうけれど,映画というメディアと小説というメディアでできることの違いを見いだしたいと思うタイプの人にはナンセンス極まりないできに見えると思う.少なくとも,原作を(うすぼんやりとは前情報で知っていたとはいえ)全く読んだことのない僕にとっては,前評判で最も囁かれていた「原作の再現率」なんて心底どーでもいいので,「なんでこんなシーンを入れているんだ?(例:細かい寝起きシーンなどなど)」とか「この部分はもうちょっと過度に演出して観客にしつこく印象づけた方がいいんじゃね?(例:朝倉の長門に対する思い@おでんのシーンなどなど)」とか「小説とかならともかく映像作品でこのリアリティーのなさはヒドい(例:7F → 5F までの移動のエレベーター内での会話の長さ,不審人物(キョン)に対する色んな人の反応などなど)」とかが,もの凄ーく気になってストーリーに入りきれなかった.

あと,ストーリーのタイムラインがメチャクチャなのは,原作が出て久しい(らしい)けれど,誰も突っ込んでないの?あまりにも作中の解説がテキトーすぎて僕の理解が足りないだけかも知れないけれど,僕の理解では朝倉(俺の嫁)に刺された段階でキョンが死んでるんだけど,それで良いのかしら?(つまり,情報の連続性が保たれていれば「肉」に意味はないというスタンスなの?別にそーいうSF は珍しくもないから,それならそれで良いんだけれど).あと,素直に作中の光陽園古泉やら朝比奈さん(大)の解説だけを信じると,いろいろ明らかな矛盾があるけれど,実際の原作者の脳内タイムラインはどーなっているのか気になる(もし知っている人がいたら教えて欲しい←自分で調べる気はない).

(映画としてではなく)普通のアニメとして一定水準の面白さを維持していたとは思うけれど,これって結局「"長門さんの顔をしているのに人間らしい女の子" を描きたかっただけなんじゃねーの?」という風に邪推してしまいます(もしかしたら邪推じゃないのかも知れないけど).さらに,もっともらしく「ヒューマノイドインターフェイスに芽生えはじめた感情が暴走して『普通の女の子』としてキョンと接したかった」なんて解説がつけられているけれど,そういう場合に俎上にあるはずの「"感情" とは何ぞや?」という(SF 的)哲学を独自に解決しようとせずに,過去のSF 作品に依存することで言及しようともしない姿勢に悪い意味での狡猾さ(というか一種のいやらしさ)を感じました.

あ,あと,アニメーションの動きが凄くぬるぬるしているせいで,逆に,普通の人体の動きじゃないのが気になった(歩くときの足の間接の動きが不自然だったり,とか).ぬるぬる動かすんなら,ジブリくらい人の動きを研究した上でデフォルメして欲しい.それができないんだったら,ぬるぬる動かすのが間違い.

うーん.まぁ,そんな感じです.

なんか,うちの相方を含むオタクの方々が上映後になんかヒドいものを見たことを必死で否定するように「消失長門可愛かった」とか,そういう会話しかしていなかった,のが全てだったと思う(比較するものではないが,「エヴァ:破」のときは,同じ映画館,同じ初日最終上映だったけど,全員がスタンディングオベーションだったからねぇ).
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2010年01月18日

Daily Mail のヒドい記事

イギリスのDaily Mail 誌に,温暖化関連のヒドい捏造記事が載りました.しかし,日本では,その記事が捏造であると言う事実が知られておらず,あたかも「当代一流の学者が現行の温暖化を否定した」かのように吹聴されています.下記のリンク先の記事に詳しく書かれていますが,この件はイギリス本国では,取り上げられた学者本人が反論記事を掲載するまでの問題に発展しています.

これらに関して,日記の方につらつら書いてしまったので,その記事にリンクしておきます.

http://dokuwakooshow.blogspot.com/2010/01/blog-post_18.html

時系列で情報が入るたびに追記していったので,若干,全体像が掴みにくい記事になっています.ご了承下さい.

時間ができたら,ちゃんとまとめたいと思いますが,いま現在,本当に身辺に余裕がないので,ご勘弁下さい.
posted by yulico at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

取り急ぎ

本当に更新をしている余裕がまったくないので取り急ぎ年末のご挨拶を……orz

本年はありがとうございました.

今回は身内に不幸があったため,年賀を欠きますが,来年もよろしくお願いします.
posted by yulico at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | にっき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月25日

会計時にマジックテープの財布を開ける彼氏をもつ女の子の気分

http://2channel2.blog32.fc2.com/blog-entry-569.html

やめてー.

     ∧_∧  ←文学部学生
     ( ゚ω゚ )  < 就活なんてくたばっちまえ!
 デモ C□ l丶l丶
     /  (    ) やめて! ←普通の北大生
     (ノ ̄と、   i
            しーJ

--

……という小ネタはともかく,こんな小規模デモが取り上げられている辺りを鑑みるに(よりにもよって取り上げているのは真っ赤っかなことで有名な道新ですし),新聞社の協賛しているキャンペーンな気がしますね.記事中で学生の名前が出ていないのも,その辺りを裏付けているように思います.

いま現在,(本格的ではないけれど)就活に半身を沈めている人間からみても,このニュースからは "現状を打破するための抗議" ではなくて "社会に対する学生の甘え" という印象しか受けません.言論の自由の立場から見て,現状の就職活動の状況や,企業の採用手法に対する批判は許されるべきだとは思うけれど,相応の方法を取らないと自らを追い込むだけなんじゃないのかね?議論の仕方も,抗議の適切な方法も考えつきませんとアピールしているようなものだしね.

まー,どうでもいいんだけど.
posted by yulico at 09:22| Comment(1) | TrackBack(0) | うぇぶろぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月15日

なんで若手研究者はすぐ死んでしまうん?

前記事前々記事では,あくまで感情論を交えずに,できるだけ理性で書こうと思って書いてきたわけだけれど,それらを書きながら,また,事業仕分け(WG3)の音声ファイルを聞きながら,沸々と湧き上がる怒りの感情が抑えきれなくなってきたので書きます.

(※個人的な,どす黒い,醜い感情論になるので,以下,閲覧注意)

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僕自身が,研究者を志望しはじめたのは,記憶にはっきりと残らないくらい昔のことです.小学校の卒業文集には既に,漠然と「科学者になりたい」,なんて書いていたと思います.もっと具体的に,研究者になりたいと思いはじめたのは,過去にこの記事で書いた通り,修士以降のことになります.まぁ,研究自体の面白さが実感として理解できて以降のことです.まぁ,中二病を患っているので,いつもは「研究者になりたいんじゃなくて研究者として受け入れてもらえるかどうかだ」なんて格好をつけていっていますが,自分の研究分野でひとかどの成果をあげて,評価されたい……という野望はありますし,できることなら自分のやりたい研究をやりたいようにできる立場になりたいと思っています.そして,そのための努力はしてきたつもりでもいます(多分,ほとんどの僕と同じような立場の人はそうでしょう).

最先端の研究を知りたいと思ったし,追いつき,追い越したいと思ったから,英語を勉強して沢山論文を読みました.
単純に,知りたかったし,理解したかったから,自分の研究・知見を深めるために,ヒグマだらけの山を歩き回って,基礎データを集めたり,室内実験用の試料を採集してきたりしました.
新たなデータが増えることが喜びであり,発見であったから,休日を返上してデータだし作業を続けました.何日も学校に泊まり込みました.

……こんな努力自体,好きでやってきたことですし,別に苦痛に感じるようなことはありませんでしたけれど,そういう行動の原動力の中に「いずれはこれらが評価されて,研究者になる!好きな研究を仕事にできる!」という思いが確実にあったわけです.そんな僕のような学生や研究員のもつ,ちっぽけな夢,研究に身を削る覚悟,そして研究者志望の若者の将来の可能性を,簡単な予算取りゲームの結果,奪う権利が国家にあるのでしょうか(奪う,というのは大袈裟ですがボッキリと心が折られたのも紛れもない事実です)?敢えて陳腐な言葉遣いをしますが,研究者志望の人間の夢や希望の源を断つことが,本当に国民のためなんでしょうか?

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事業仕分け(WG3)の音声ファイルを聞いていると,(この議論自体の分析や細かい批判については多くのblog で行われているようですので,ここでは割愛しますが)「議論・論点のすり替え」「(文科省の提示する)実際の数字に裏打ちされていない,印象だけでの決めつけ,批判」「議論の齟齬」「本来審議すべき案件と別件を持ち出しての無理矢理な批判」などが続々飛び出してきて頭が痛くなります.まさに詭弁です.こんな1時間そこそこの議論とも呼べないようなものだけを見せつけられて(実際には事前折衝やなんかがあったとしても),それでどう(将来を奪われた)自分たちの気持ちに整理をつけろというのでしょう?急に「死ぬか,やめるか,いま以上の(方向性は一切示さないけど)努力をしろ」と,宣告されて,どうやって希望を持てというのでしょうか?……仮に努力を続けても,「仕分け人」の判断ひとつで,研究プロジェクトの予算そのものが吹っ飛んでしまうかも知れないのに…….

そして,これらの仕分けによって削減された予算が「公立高校無償化」などの愚策に消えていくという,やるせなさ.悔しさ.ここに至るまでの自分に投資してきた時間や金が一体なんだったんだろう,という空しさ.…….

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「(大学院重点化に)踊らされた人間が悪い」
「研究者への門戸が狭くなるのであれば,更に努力をすれば良いだけ」
「役に立たない研究をしていたのが悪い.役に立つ研究になればいい」……etc.

……様々な無責任な声が聞こえてきます.いや,無責任と書きましたが,もしかしたら世間一般でいうところの正論なのかもしれません.立場が違えば見え方も違うことでしょう…….もしも,僕がこんなところにおらず,大学卒業後に適当な企業に就職していて,サイエンスの世界から離れて,勘も鈍っているのだとしたら,こんなセリフを吐いているのかもしれません.でも,そんなことはわかりません.逆に言えば,そういう立場の人たちには,僕らの立場がいま感じている絶望や失望,将来への不安がわかることはないでしょう.それなのに,それらの絶望感が解らない人たちの決めつけた「仕分け」だけが正義としてまかり通るのです.理解しあおうとお互いに努力することなしに,一方的に…….

本当に,ただ,悔しいです.

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なお,こんな愚痴や感情の吐露を導きだすのは,現政権のダブルスタンダードや,本来の方法論を歪めた "事業仕分け" そのもの(販売元(?)である構想日本の提唱する事業仕分けと現行政権で行われている "事業仕分け" は全くの別物です),その他,諸々の現政権に対する不満が鬱積しているからなのですが,それは,もっと深い政治の話になりますし,本題から大きく外れてしまうことなのでここでは語りません.
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研究したいことも研究できない こんな世の中じゃ Poison ♪

前の記事関連で,もう少しいいたいことがあるので書きます.

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世情を眺めてみると(と言っても,僕の見ることができる世情なんて2ch やどこぞのつぶやきなどの限られたものな上に偏っている意見ではあるのだけど),どうやら(関係者を除く)世の中の多くの人々は,「研究者に死ねというのはいくらなんでもヒドい(よく解らないけど,科学技術を捨てたら日本にはなにも残らないんじゃないの?派)」という意見と,「基礎研究が何の役に立つのか説明できない方が悪い(自己責任・自業自得だよ派)」という意見と,「英断だ!科学研究関連予算なんて本当に無駄だから全部カットしてしまえ!(科学研究なんていらないよ派)」という意見と,「事業仕分けの仕方に問題があるから,見直すべき(そもそも制度が問題だよ派)」という意見に分かれている気がします.大体の場合,前の2つの意見が枢要を占めて言い争いをしていて,後の2つの見解を述べる人がちょこちょこと現れる,という比率です.そして,多くの場合,そこに,僕のような立場の研究者見習い〜ポスドク研究員と思しき人々のあげる悲鳴や断末魔の叫びのような意見が挿入されています(例:http://hamusoku.com/archives/768639.htmlhttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1337343.html など).

僕自身がこの政策方針に対して思うことは,前の記事で言ったので,そちらを参照願いたいのですが,端的に言って世紀の愚策だと思います.

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今回の事業仕分けは(若手研究者の大粛正に留まらず),今後の研究者の研究計画策定そのものに大きな影響を与えるであろうことが容易に予測されます.即ち,政権をもつ人々(や全く研究に理解のない多くの一般市民)にとって「意味があると思い込ませられるかどうか?」が,今後の研究プロジェクトの策定における最大のポイントになるでしょう.

もちろん,これまでもこういう論点はあって,多くの研究者は「(社会や国のためになるという)建前がないと好きな研究ができないんだー」なんて冗談めかして語っていたものです.しかし,今回の仕分けの結果を受けて考えると,これまで以上に無知な人間が研究予算に口を出し,審判していく世界になることが容易に想像できます.つまり,これからは,これまでのような文部科学省の役人よりもさらに研究に対して無頓着な一般人に毛の生えた程度の "仕分け委員" さまが,研究自体の生死を決めていくことになるのです(つまり,省内の予算折衝までの段階で専門家集団によって高く評価されていた研究事案であっても,"仕分け委員" さまの裁量ひとつで予算そのものが吹っ飛んでしまうことがあり得るわけです.少し穿った見方かも知れませんが,"仕分け委員" さまが日本語を理解できないお馬鹿さんだった場合,「(私たちにはその研究が理解できないし,必要とは思えないから)予算は出しません」という事態になり得るわけです).

えー.

なんだか,最早,ギャグかなんかのようですが,スーパーコンピュータ関連の予算削減の記事などを読むと,

「(コンピューター性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」という仕分け人の発言。

「一時的にトップを取る意味はどれくらいあるか」(泉健太内閣府政務官)「一番だから良いわけではない」(金田康正東大院教授)「ハードで世界一になればソフトにも波及というが分野で違う」(松井孝典・千葉工業大惑星探査研究センター所長)などと、同調者が相次いだ

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091113/stt0911131914010-n1.htm より引用)

……なんていう数々の危険発言が飛び出しており,どうやら夢でもネタでもなんでもなく,現実の模様です(つーか,同調者の中にもろにスパコンを使った研究で被害が出そうな人間がいるのがアレですが……).

そのうち,研究者が「こういう意味で社会に役に立つ」という観点からしか研究テーマを探せない世界がくるんだろうなぁ…….それって,本当に日本の科学の終わりですよ.

--

研究ってさ,そりゃ,社会の役に立つんだったら,そういう研究のほうが好ましいと,僕だって思いますよ.でも,「現時点で社会の役に立つことが解っている研究」って,基礎科学の分野にはほとんど存在しないし,仮にあったとしても基礎科学としては,ほとんど終わりかけな(先の見えている)分野なわけで……(応用になると基礎科学の範疇ではなくなるので).仮に「役に立つ可能性がある研究」というところまで範囲を広げたって,その数や将来性はたかが知れています.

じゃあ,そういう研究を見つけるためには,どうすれば良いかといえば,単純に研究者と研究分野の多様度を高めるしかないと思います(そうでなければ,ノストラダムスクラスの予言者を育成して,次にどの分野が大々的に発展するかを予言させるために国家予算をつぎ込むべき).各々の研究者に,やりたいことをやりたいようにさせるべきなんです.そこに(科学分野に関して)無知な第三者による評価やなんかが入り込むこと自体が,本来,ナンセンスなんです.

本来,貴賤も尺度もなにもないものに対して,適当に線を引いて,無理矢理,「評価(と称するなにか)」しようとしたって,なにも評価できるわけがないはずなんだけど,そんなこともわからないんだろうか…….それとも,本当に「民意(と称するなにか)」が研究者の生死に勝ると思っているんだろうか?(多分,後者なんだけど)
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日本の科学終了のお知らせ

こんばんわ.yulico です.

……最近,忙しいのでゆっくりと文章を書く余裕もなく,この書き出しで文章をはじめるのも随分と久し振りな気がします.ニートもどきの遊び人のように見えるかもしれませんけれど,僕も,一応は,博士課程の二年目の後半に突入した学生ですので,それなりには忙しいのです.……多分.

今回,久し振りにこっちのblog を更新しようと思ったのは,ここ以外でも色々な人が取り上げている,事業仕分けに関するアレヤコレヤについて,ちょっとだけ愚痴をこぼしたくなったからです.本当は,不特定多数の人が見られる環境で政治の話題を取り上げるのは好きではない(というか,ポリシーに反する)のですが,今回の政策と言うか,政治方針と言うか,無計画っぷりと言うか,が,僕のような立場の学生や年代的にもう少し上の研究者志望の研究員に「死ね」と言っているようなものなので,少しくらいの愚痴は大目に見てもらいたいと思います.

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13 日に行われた事業仕分けの略報(文部科学省のみ引用.引用元:http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009111301000870.html).


▽文部科学省

【理化学研究所(1)次世代スーパーコンピューティング技術の推進】世界最高速の計算性能を持つスパコンを神戸市に整備することを目指し、10年度は267億円を要求。仕分け人は「1位でなければ駄目なのか」「国民生活にどう役立つのかが分かりにくい」などと指摘。今年5月に一部メーカーが撤退しシステムを大幅に変更したことへの疑問や責任を問う意見が続出。「一度立ち止まって戦略を練り直すべきだ」との声が上がった。判定は「(予算計上の)限りなく見送りに近い削減」だった。

【理化学研究所(2)大型放射光施設SPring―8など】兵庫県内に設置された、強力な電磁波(放射光)を用いて物質の構造を詳しく解析できるSPring―8という施設の運転や維持管理に文科省が108億円を要求。「需要や相場を考え、精緻に費用分析するべきだ」「(施設を利用する)企業の売り上げに応じて費用負担を求めるなど(収益を上げる)努力を」との意見があり、判定は「3分の1以上の削減」。遺伝子を調べて植物の機能を活用する植物科学研究事業(要求額12億円)と、マウスなどの生命科学の研究材料を収集・提供するバイオリソース事業(同31億円)は、ともに「3分の1程度削減」を求めた。

【海洋研究開発機構】「深海地球ドリリング計画推進」(要求額107億円)は、地球深部探査船「ちきゅう」で東南海地震震源域の和歌山県沖・熊野灘の海底を約6千メートル掘り、巨大地震が起きる環境を調べる。仕分け人からは「国際共同研究なのに日本の負担が大きくないか」などの意見があり、判定は「予算要求の1割〜2割の削減」となった。地震や火山の原因に迫る観測などの「地球内部ダイナミクス研究」(同12億円)の判定は「少なくとも来年度の予算の計上は見送り」または「予算要求の半額削減」の両論併記。

【競争的資金(先端研究)】国などが課題を募り、審査で採択された研究に資金を配分する制度で、6事業で計1228億円を概算要求。財務省の査定担当者は「1人で10種類以上の資金を受けている研究者もいる」と指摘。「制度をシンプル化し、削減するべきだ」と判定。

【競争的資金(若手研究育成)】博士課程修了者らに経済的不安を感じさせず研究に専念させることなどを狙った特別研究員事業(要求170億円)は「雇用対策の色合いが強い」「民間に資金を出してもらえないか」との意見が相次ぎ、予算削減となった。若手研究者養成のための科学技術振興調整費(同125億円)と科学研究費補助金(同330億円)も削減との結論。

【競争的資金(外国人研究者招聘)】ノーベル賞級の学者から若手まで多くの外国人研究者を招き、人材育成や国際化を図る資金で、141億円を要求。「2週間程度しか滞在しない人もおり、研究(資金)ではなく交流資金でやるべきだ」などの意見が相次ぎ、削減と判定された。

【地域科学技術振興・産学官連携】地域の大学や産業界の特色を生かして科学技術を振興し、日本全体の研究のすそ野を広げる狙いで、数種類の事業やプログラムを用意。概算要求は総計268億円。仕分け人は「これまでも多額の国費を投入してきたが、地方に人、物、金はどれだけ増えたのか」「地方に自主的にしてもらった方がいいのではないか」などと述べた。判定は「廃止」。

【科学技術振興機構】理科支援員等配置事業は、子どもの理科離れを改善するため、小学5、6年生の一部授業に、研究者や大学院生などを理科支援員や特別講師として派遣。来年度に5500校分、22億円を要求したが、仕分け人は「すべての子どもに平等に機会が与えられるべきだ」「理科専門の教員を採用できるような抜本的な改革が先だ」などと指摘し「廃止」と判定。東京・お台場の「日本科学未来館」(要求額22億円)は、館長で元宇宙飛行士の毛利衛さんが来館者増などをアピール。仕分け人は、運営体制の整理を求め、判定は「削減」とした。


今回の事業仕分けによって,上記のような多くの基礎科学費が予算削減や予算自体の見送りという憂き目にあっています.有名どころを挙げていけば,スーパーコンピュータ関連,スプリング8 関連などが,大きく取り上げられた模様です.また,僕の関係するような分野だと,JAMSTEC の予算も大幅に削減するように指示が出ていました.

よく,日本は「科学技術立国」だのと言って,技術や科学が世界的に評価されている,という誤解が広く蔓延していますが,実際にはそんなことはありません(もちろん,過去にあった技術を発展,独自展開してきたものが多いのは認めるが,基礎科学の発展なくこれからの世界でそれだけでやっていけるわけがないし,そこすらもこれから削減されていくだろうと思う).もちろん,世界的に見れば,そもそも「科学技術」に大きな予算を割けるほど余裕がある国自体ほとんどないので,そういう意味では上位にあるのでしょうが,そんな比較に意味がないのは明白でしょう(先進国内では下位だし,発展途上国のいくつかにも抜かれているけどね).

日本の科学の現状は,「インド,中国,韓国に抜かれるのは時間の問題」というのがセンセーショナルで,いちばん妥当な評価だと思います(つーか,基礎科学はともかく,技術に関しては,とっくにインドに抜かれているかな?).特に中国は,ここ十数年の極端な経済成長以降,(少なくとも,僕が日常的に目にしている地球科学関連分野では)もの凄い勢いで論文を量産していて,しかも,その質は年々,もの凄い勢いで向上しています(ちゃんと数えたわけではないから確かな数字は示せないけれど,最近の主要国際誌の掲載数は日本人と中国人じゃ,ほとんど変わらないんじゃないかな,と感じるくらい).

これは,あくまで私見なんだけど,基本的に過去の日本の科学は突出した天才が発展させてきたものだと思うのです.つまり,全体的な質の向上が後押ししたものではなくて,単にその人だから到達できたという,発想とか頭の良さが左右する研究が多かったのであって,決して,国の科学レベル全体の高さの問題ではなかったように思います(ここ最近は,研究者層の厚さによってなし得た研究が出始めてきたと思いますが,研究費や若手研究者数の減少,若手科研費の削減でこの辺りも停滞するでしょうね).

戦後日本の一般的な大学史を見ると,「大学生がエリートだった時代(1945〜1960 年代)」,「大学の大衆化の時代(1960 年代末〜1980 年代)」,「全入時代の幕開けと大学院重点化時代(1990 年代後半〜)」とざっくり三つに区切れると思います.この変化の背景にある思想は簡単で,「競争の緩和」による「研究者(高等教育修了者)の裾野の拡大」が目的でした.つまり,「飛び抜けた研究者を少数育成する」形態から「凡庸な研究者を多数育成する」形態に乗り換えた,と言い換えてもいいでしょう(言い方は悪いけど,天才ではない学生や貧乏人でも熱意があれば研究者への道が開けた).そして,この転換は少なくとも,国家レベルで科学の質を向上させるためには,全く間違っていないと言えます.問題は,「全入時代の幕開けと大学院重点化時代(1980 年代後半〜)」の開始早々に,日本の経済が崩壊したことと,それ以降,長らく不況から脱出できなくなったことでしょう.また,それが直接の原因かどうかはともかく,増加した「研究者志望者」に対して「研究職」が一切増えなかったのも問題でした(その結果,高学歴ワーキングプアなんてものが発生した).

今回の政策以外の政策実行の様子をみても,少なくとも現政権に「先の政権の政策に対する仁義」は存在しないようですので,上記のような問題が発生したことにもなんの感慨も抱かないことでしょう.それどころか,上記の「高学歴ワーキングプア問題」に正のフィードバックを起こしたいとしか思えません.

結局,踊らされているのは(もちろん,自己責任な部分もあるとはいえ)コネも運もなかった研究者志望の若者なわけです.学部生時代には「国を挙げて君たちを研究者にしていく」といわれ,院生時代には「研究者の裾野を広げて,日本が科学立国としてやっていくために君たちの研究に対する情熱が必要だ」といわれ,ポスドク研究員になるころには「不景気の影響で想定外にポストが少なくて,野良博士が増えたけど,これから民間との連携とか頑張るから,院を出たあとも研究を続けてくれ」と頼まれ,無給の研究員になる頃に,急にどこかからやってきた新政権に「研究とかにかける金は無いから死ね」といわれるわけです.

別に(今回の件でよく見掛ける論調のように),仁義とか,情とか,そう言うものに訴える気はないですが,こんなやり方じゃ,誰も研究者なんて目指さなくなるぜ.……というか,金に不便のないボンボン(か,絶対的に競争に勝てる自信のある天才かバカ)以外は,研究自体をすることができなくなるでしょうね,本当に(例えば,研究室クラスでも全体予算に影響が出てくるから上に行かせる学生を絞らざるを得なくなると思います.昔は,そういう文化だったらしいですが,それをやめて「研究の裾野を広げるべき」として,ようやく最近になって,そういう選別をしなくてもよくなってきていたのに……).

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ここまで,ごちゃごちゃと現状に対する愚痴を書いてきましたが,端的に言うと,僕自身がひとつのポイントになると思います.

僕のスペックを簡単にまとめると……

・某上位国立大学の博士課程在籍(大学の移動経験はなし).
・学会発表は,修士以来,国内で年に1〜2 回程度.国外は未経験.
・いまのところ筆頭著者としての論文は邦文を一編投稿中.筆頭でない論文は国際誌数編.
・国際誌に投稿できるデータを抱え込んでるけど,英語が書けなくて四苦八苦中.
・来年度の学振(DC2)には落ちた(スコアを見ると主に業績不足のせい).

……という感じです.業績周辺が情けなすぎて,泣きたくなります……orz

多分,非常に凡庸な(地球科学科の)博士課程の学生程度のスペックだと思います.回りを見渡してみても,どう贔屓目に見ても突出はしていないし,おそらく,底辺というわけでもないようです.

そんな,僕が,今回の政治方針を目の当たりにして,本気で「研究者を目指すこと」をやめたくなるくらい心をボッキリ折られた,というのが,この問題の全てだと思います.だって,「研究者を目指す人間(の大部分)は,死ね」といわれているようなものですもの…….

僕レベルの人間はともかく,僕よりも明らかに先を走っている人たちが,今回の件の世情をみてボッキリと心を折られているくらいですから,本当に今後の日本の科学は衰退していく一方だと思いますよ,マジで.

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(追記)
この件に関しては,今後,情報が増え次第,書いていくと思います.

以下,感情的なものではなく,比較的冷静に分析している(しそうな)blog へのリンク(備忘).

http://d.hatena.ne.jp/oritako/20091113
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3457
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3465
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3462
http://shinka3.exblog.jp/12947376/
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/142212/126445/60723063
http://d.hatena.ne.jp/kimura-gaku/

今回の仕分けの様子の音声ファイル.

http://d.hatena.ne.jp/riocampos/20091113
posted by yulico at 03:05| Comment(3) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月12日

取り敢えず,生存報告

こんばんわ.yulico です.決して,死んでいたり,日記に活動の中心を移して,このblog からフェイドアウトしようとしたりしているわけではありません.念のため.

……いかんせん,このblog で書こうと思っていること(後述)が,そうそう簡単にサラッと書き上げられることではないのと,余暇がほとんどないことが組み合わさって,更新ができない状態が続いています(その割に日記の更新頻度は高い気がするけれど).

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……というわけで,今のうちに,自分のクビを無理矢理絞める意味で,今後,書こうと思っている予定のネタを公開しておきます.

・以前から幾度も書くと言っているにもかかわらず,未だに,書く予定も立っていない「北大博物館古生物展示糾弾サイト」の顛末と個人的な覚え書き.これは,本サイトのほうにもここに書くよりは真面目な文章を書かないといけないなー,と思っているので,それと同時に書く予定(は未定).

いくつか前の,環境問題系の記事のコメント欄についたコメントに対するコメントと,コメントした読者様のサイトに対するアレコレ.

・また,それ(上)に付随して,最近,書かないといかんなー,と思っている温暖化関連のアレコレ(つまり,「環境問題(笑)」のシリーズ新作).

・今更感が溢れているんだけれど,地向斜/テクトニクスのパラダイムシフト関連で,最近思うこと.地団研のこと.科学を"信じる" ということ,などについて.

……いまのところ,書きかけているものも含め,こんなラインナップと展開を考えております.
posted by yulico at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | にっき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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