「もの書き」
この職業に憧れ始めたのがいつの頃だったのか、僕は、もう覚えておりません。それはもう、小学校の頃にちょぼちょぼと書き始めた「童話集」だったり、中学校のころに「もの思う葦」(太宰治)に憧れて書き溜めていた「思索集(その名も『20 世紀のパンセ』w)」だったり、高校時代に書き散らしたSF だったり……。もしかしたら、具体的にサイエンティストと言うのがどういうものか、を知ってからそれに憧れたよりも以前の段階から盲目的に「もの書き」というやくざな職業の持つ香りに惹かれていたのではないか、と言う気がします。
しかし、こんな憧れも、一昔前に青春時代を通り過ぎていたら、大学を卒業するような年齢になってまで心の奥底にくすぶるなんていうことはなかったのでしょう。つまりは、所詮、自己満足で文章を書き上げたとしても、インターネットという虚構空間が存在していなかったとしたら、そんなところに恥を晒そうなんていう考えも浮かんでこなかったのではないだろうか、と思うわけです。
しかし、現実には「インターネット」の存在する時代、それを扱うのに特殊な技術のいらなくなる時代に、青春をささげてしまった僕は、その虚構に身を沈めなければならない義務を自らに負ってしまったわけです。簡単なる発表の場と、簡易なるコミュニケーションツールの前に、己の恥を省みる余裕はいかほどもなかったこと、それはきっと、多くの「もの書き」志望の若者に理解していただけることでしょう。
そんなわけで、僕は、やってしまったわけです。初めて持ったウェブサイトに、稚拙な小説をアップロードしたり、詩を書いてみたり、しまいには、自分で勝手にエッセイを書いてみたり……。
やってみると、意外にも面白いものでした。
自分の隠し持っていた究極に自己の快楽に忠実な感覚が、人目に触れ、簡単にアクセスされうるという、被虐的快感。こう書くと卑猥だけど、「もの書き」という職業そのものが内包する「他人に見られる」という快感が、いとも簡単に手に入ってしまうという気楽さは、仮に、その相手が仮想的な「読者」に対してであっても、少なくとも僕にとっては気持ちのいいことでした。
なーんて、書いていると「ただの自己満足」と捉えられるわけだけれど、それは、そのとおりなので、僕は何もいえない。アダルトビデオという仮想の対象の前で、僕は、公然とオナニーをして気持ちがいいと言っている……、例えるならそういうことです。しかし、そうであることを自覚していてもオナニーが気持ちいい限り、そんな皮肉を気にしないくらい、僕はタフになってしまっているのです。その辺も、アダルトビデオ&オナニーに似ているな……。
閑話休題。
そんなわけで、僕は、また、このblog という文明の利器を用いて、恥ずかしい「公開オナニーショウ」を始めようと思い立ったわけです。
「いんまいふぃろそふぃい」
「僕の哲学では……」
実を言うと、Ben Folds Five の曲名からのパクりで付けたカテゴリーのタイトルなのですが、あの曲で言うような、いわゆる「僕の哲学」ではなく、個人的な近代〜現代哲学雑感、というか、批評文学的なアプローチというか、そういうものです。まぁ、そこまでかっちりした批評なんて書けないので、一学生の哲学妄言集みたいな色合いになるかなぁ、と思っています。まぁ、少なくとも某友人のいう「哲学」のようなものを書くつもりではない、と言うことだけは、はっきりさせて頂きたい。けど、文系人間じゃないのでタームの誤用とか、知識不足&突っ込み不足は笑って許してくださいな、という感じで……。哲学風エッセイってところかな……。
哲学する?