2007年11月23日

秒速5センチメートルと恋空

ずっと前に友人と馬鹿にしながらDVD を見た「秒速5センチメートル」を久し振りに,改めて真面目に見直してみた(後輩がニコニコで見てたから).

しかし,何度見てもクソ下らない内容で,相変わらず世間(つーか,2ch やヲタの連中)での評価の高さが理解出来ない…….まぁ,あの辺の人間に物事を正当に客観的に評価出来る脳みそが入っているとは思えないんだけど,直前に「恋空」を馬鹿にした口で「秒速」を褒めているところとか見ると,もう……www

確かにね,絵は綺麗だと思うよ,絵は……(嘲笑).しかしね,いっくら絵が綺麗でも,内容が何にもないんじゃ,ただの綺麗な映像であって,アニメーションでもなんでもないんじゃねーの?そんなに綺麗な絵が見たいんだったら,チープな彩色で何の奥行きもないCG 画面なんか見ないで普通に美術館で名作絵画でもみていろよ……と.

恋空を捕まえて「こんなビッチが」とか,「リアリティーがねぇ」とか,くだらない突っ込みしか出来ない人間が,この作品に関しては無条件に「泣ける」とか「リアルすぎて鬱になる」とか言ってんの.もう,見てらんないwww
はっきり言って,この物語って,初恋→遠距離恋愛っぽくなる→キス(不満からの解消,何か二人の間に「つながり」があるという錯覚)→更に遠い転校先(鹿児島)で「愛のないセクース」を覚える→上京して色んな女を食い散らかした末,それまで快楽のためのセックスの「言い訳」に使っていた「初恋の幻影」なんてもう,自分には残っていなかったことに自分でも気付く,っていうだけの話でしょ?レベルの低さにおいて,恋空と何が違うのか,と.っていうか,もしかして感動したとか行っている奴らは,2ch ねらの皮を被ったスイーツ(笑)?(←仮性包茎とも掛けている)

確かにね,アニメーションって時点で「表現する」っていう観点から言うと,恋空より素晴らしく描けてる部分はあるかもしれないよ?それは,単純に「絵」の持つ表現力が文章のもつそれよりも遥かに大きいから.でも,見方を変えりゃ,きたねー部分(セックス描写とか生々しい部分)はメタファーやらそもそも描かないことでごまかしている「秒速」と,チープではあっても汚い生臭い描写をちゃんとしている「恋空」の,どっちがリアルでどっちが表現力が高いんだ?と聞きたい(つーか,チープな点に関してはどっちも変わらないし).自分の側(ヲタ文化)から出たものだからって,無条件に礼賛し,敵(と認識しているのであろうギャル,DQN 文化)から出たものは無条件に叩く.しかも,それどころか,その作品を空かして,どこかにあると思い込んでいる空虚な「仮想的スイーツ(笑)社会」そのものを叩こう,というキャンペーン的な薄気味の悪さ…….結局,巨大メディアに踊らされているだけなんだよ…….少しは,自分の主体で,物事を見た方が良いんじゃないのかしら.

「秒速」は,所詮,おまいら「精神的ドーテイ」のために書かれた「恋空」だよ.
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2007年11月19日

たまにはblog らしく

http://waranote.blog76.fc2.com/blog-entry-778.html

そして>>1 は帰ってこなかった…….

posted by yulico at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | うぇぶろぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

蒙が啓ける

こんば……おはようございます.珍しく頻繁に更新を繰り返しているyulico です.

今日は,自分の目が覚めた話.

昨夜,いつもの同僚と自分たちのやっている地域の地質について雑談以上,ディスカッション未満な話をしていたんですが,そのときに,広域の地形図を見ながら地質ユニットの広がりを話していたら,ふと,北海道(日本)の構造発達史が急に解った.

いや,一応はそういう分野のお勉強はしていたんで,論文から得た文字情報を生のまま脳内には溜め込んでいたんですが,それが,急に自分の中で理論として形成出来た,って言う感じです.

んで,そうやって,すべてを見通せる理屈が頭に出来上がると,(誇張ではなく)急に目の前が開けたように,師匠や指導教官の言っていた「言葉」の数々が解るようになってきたという…….やっぱり,文字情報を知っている,という段階と咀嚼して自分の言葉でも言い換えられるようになる,という段階の間には大きなギャップがあるんだなぁ……と.

しかし,そうやって自分が一つの丘の上に登って,さっきまで自分が立っていた地点をみると,あんな世界で「なにか」を解ったつもりになっていたついさっきまでの過去の自分が情けなくて仕方がなくなります…….馬鹿だったなぁ……と.そして,丘の上に来てから周りの風景を見渡すと,これでようやく地質屋という人種のスタートラインに並んだだけだということにも気付くわけです…….それこそ,こんな視点は,昭和のメモワールな人々も持っていた,基本概念だったんだ…….

しかし,本当に,このブレークスルーが修論提出前,論文(卒論)投稿前にあってよかった…….これで,この理解がもっと後だったら,気付いたとき確実に自殺してたな……恥ずかしすぎて…….
posted by yulico at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月15日

これは……

http://nenriki.exblog.jp/

凄すぎる.ネタにしろ,マジにしろ,この強烈な情熱と,ここにかけられているエネルギーと,無限に続く暗黒写真…….そんじょそこらのホラーサイトのウン百倍怖い.

なにが怖いって……,一枚ずつゆっくり写真を見ていくと,ふと作者の心の暗部が強烈なエネルギーを伴って,自分に侵入してくるような錯覚を覚えることが何より怖い.
posted by yulico at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | うぇぶろぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

スイーツ(笑)

こんばんわ.お久し振りです.yulico です.まだ,生きています.

さて,最近,携帯小説なるものに対する賛否両論がネット上や何やら至る所で聞かれていて凄く香ばしいのですが,それらを傍観していて思うことを…….ただし,「コンテンツがうんこ」なんていう元も子もないこと(でありつつ,完全な事実)を言うつもりはありません.

まず,僕個人の見解として.携帯小説(多分,メール等で配信可能な形態で,携帯電話の画面を通してストレスなく読むことの出来る小説,という定義なんだろうね)はどうなのか,というと,「無理」の一言です.ただし,大方の携帯小説を擁護したい人のいわんとする,文学の一配信形態としての携帯小説の可能性を批判する気はないです.なぜなら,(まあ,その辺はマトモな始点からの携帯小説擁護派の方々の言説そのままなのですが)小説というものが配信されるやり方として”ライト”で”ポップ”なメール配信の可能性を否定するのは「小説」様を高く見過ぎなんじゃねーの?と思うからです.だって,仮に同一コンテンツであったら低俗な雑誌に載っている方がメール配信されるよりも偉い,なんていうことはないでしょう…….

しかし,個人的に僕は,携帯小説の未来はないと思うし,この分野が発展して行くことには危惧しかないと考えています.それは,やっぱりマトモな携帯小説否定派の言説にかぶる部分があるんですが,構造的に情報伝達に齟齬を来している点です.

携帯小説は,その性質上,様々な制約が「なければならない」とされています.第一に,改行が多くなければならないこと,第二に「現代風な」言葉遣いをしなければならないこと,なんて言うあたりがよく話題にあがります.んで,結構,このあたりが多くの否定派の癇に触っているんだと思います.しかし,僕は,(もちろん,ある程度問題の根っこの部分はあるにしろ)そこにあまりまずさを感じません(散文詩なんて,みんなそんな形態だもんね).それよりも,僕が問題視したいのは,実は携帯小説だけではなく,いわゆるところのライトノベル,エンターテインメント小説に通ずるものではあるのですが「言葉を使わないで伝えようとする姿勢」です.

本来,小説(に限らず言葉全般)は,相手に無条件で「情報」を伝達する手段であり,そうでなければならないものであるはずです.言葉は原則として,過不足があってはいけない上に,相手に伝えるという制約上,美しくなければならないもののはずです(あえて美しくない語法を用いるとか言う話は小説の技術的な話だから原則は原則).しかし,ここ最近,特に携帯小説という形で顕著なのですが,この原則がなくなりつつあると感じます(具体的に例を挙げるには僕の携帯小説体験が少なすぎるんですが……).

つまり,何が言いたいかというと,言葉以外に読者に求められる前提条件が増えて行く一方で,言葉を用いて「物語」を表現する,という作業が作者の側に完全に欠落しているのではないか,ということです.
動詞を重ね続けたり,「〜〜と思った」を重ね続ければ話の流れは確かに作ることが出来ます.登場人物をキャラクタライズして,読者のもつ固定概念や抽象概念を利用すれば,何となく人物像を描いてやることも出来ます.しかし,それでは読み手には,実際のところ何も伝わらないはずです(こんな話,こんなキャラという最低限の情報くらいはわかるけど).仮に,携帯小説というものが目指している世界がそういう世界であるのであれば,僕は沈黙せざるを得ませんが……,それってすっごく下らないギャグ漫画よりも文化的な意味でレベルが低いと思いますよ……(漫画は「絵」で書いてしまえばかなり多量の情報を読者に伝えられるから言葉のみのメディアよりはそういう点で有利なんだけど).

一般的に,評価の高い小説(純文学だろうがエンターテインメントだろうが)を読むと,なによりも言葉の取捨の巧みさ,表現の美しさに感心するはずです.本来,小説というのはそういうものであるべきです.

「物語」を伝えるために,言葉を,表現を限界まで選び続ける,という作業を捨て去った携帯小説という世界(伝えるのに最低限必要な言葉すら使わず,美しさを求めない世界)の中では,仮にこの先携帯小説家の誰かが,奇跡的に誰もが納得せざるを得ない完璧な構成のコンテンツにたどり着いたとしても(あり得ないけど),いまある制約の中では,決して評価を受ける事は出来ないという構造的欠陥を抱えていることに気付くべきではないか,と.
posted by yulico at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | にっき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする