2008年12月16日

先人(先行研究)は平気で嘘を吐く

こちらはmixi(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1023501207&owner_id=2088510)からの転載ですが,一つ前の記事と同じような科学哲学のお話です.

この二つ(「先人は平気で嘘を吐く」と「妄想は実証に先立たない」)は,昨日,なんということもなくほぼ同時に思いついた「名言もどき」なので,宣伝して流行らせようと思います.皆さんも,これを読んで気に入って頂けたら使ってみて下さい.

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この言葉の真意は三つあります.

第一に「先人が嘘を吐いたわけではなく,その後の研究の進展でかつての正論が嘘になることもままある」ということ.

これはごく当たり前のことで,例えば,地球科学の分野においては,プレートテクトニクスの理論が成立する以前の論文は,先人自身が嘘を吐く気がなくても,地向斜造山論という嘘を書いてしまっていることになります.つまり,論文の書かれた背景を無視して論文を読む事は出来ない,という戒めです.

第二に「実際に先人が,(当時の常識・背景を鑑みても)嘘を吐いていることが本当にある」ということ.

先人は自分ほど慎重に議論を進めていたかどうか解りません.また,先人は自分よりも遥かにおっちょこちょいの慌てん坊で,データの解釈を勘違いしているかもしれません.更に,先人は自分より遥かなお馬鹿さんかも知れません.

第三に「先人(研究者)は確信犯の嘘を吐く」ということ.

これには少し重要な問題が含まれるので,後日,別に書きますが,簡単にいうと,有限の結果(真実)からは,唯一の真実を語ることは出来ないし,語る必要もない,ということ.

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以前書いていた「環境問題(笑)」シリーズみたく,「科学哲学(笑)」シリーズっぽくなってきましたが,まだまだ,書きたいことがあるので,このシリーズはしばらく続きます.

取り敢えず,現在のところ想定している今後の予定(は未定)は,

「研究者は確信犯の嘘を吐く」
「モンスター倒してレベルアップ!〜経験値のため方〜」
「美しい嘘を吐くために僕らがすべき最低の準備」

……です(タイトルは気分次第で変わると思います).
posted by yulico at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

妄想は実証に先立たない

おはようございます.yulico です.

更新が滞っていましたが,僕は元気です(……と言いつつ,昨日まで風邪で倒れていたわけだが).更新が滞っていた理由は,普通にリアル生活が忙しかったからで,特に面白い理由はありません.

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※もの凄く久し振りに更新するというのに,研究に関する訳の分からない抽象的な話を書く気満々ですので,興味のない方はスルーして下さい.

閑話休題.

先日,自分のここ四年間のライフワーク的に続けていた研究がある程度終わりました.まぁ,「終わった」と言ってもあくまで自分のなかでのことなので,これからちゃんと論文にして,ちゃんと発表しなければならないことではあるのですが,それでもある程度完成が見えてきたので嬉しいところです.しかも,ある程度,自分の妄想していたストーリーが支持されたのでちょっとハイになってます(ので,大多数の読者様に興味がないことは解っていながら).

そもそも,この研究自体は,四年生の時の右も左も分からなかった頃に指導教官から天下り的に(言い方は悪いけど)押し付けられたテーマで,研究しはじめの頃は,正直,何を目指していいのかもよく解っていませんでした.正確にいうと,押し付けられたネタの意味は理解できるのだけれど,そこから先に何を見据えればいいのか,という部分が見えていませんでした.

そんな状態から,少しずつ結果を積み重ねて,何かが解った気になり,解った気になると,別なことが気になりはじめ……,という繰り返しで,徐々に論文を育てて行き,今回,ようやく諸問題にケリがつき,ある程度の到達点にきました.細かい内容は退屈な上に書いても仕方がないので書きませんが,最終的には,当初想定していたテーマから大きく外れて,やたらと壮大なネタに結びつくことが出来るようになってしまいました.四年前の自分の状況から見たら信じられない仕事です.

閑話休題.

そこで,本題の「妄想は実証に先立たない」話です.

この研究をはじめた頃は,今回至った結論のことは妄想としてすら頭にはありませんでした.まぁ,単純に脳みそが足りていなくて物事が解らなかった,と言ってしまえばそれだけの話なのですが,それ以上に何よりも「経験値」と「結果」が不足していたように思います.そして,研究を進めて,物事を解決して行く上でこの二つの要素が非常に重要だと言うことに気付きました(って書くとバカっぽいんですが,実感を伴って理解できたのがここ数ヶ月という愚か者なので,自省をこめて敢えて書いておきます).

経験値に関しては,単純に経験を積まなければ何ともならないものなので(いずれは書くとして,ひとまず)ここでは置いておきますが,結果の重要性について少しだけ.

自分自身,昔は勘違いしていたことなのですが(特に学部生のころはかなり勘違いしていた気がします),妄想は結果がなければできないことだと言うことが今回の研究全般で気付いたことです.勘違いしがちなのですが,妄想は実証に先立ちません.つまり,順序として正しいのは,「妄想→実証(結果)」ではなく,「結果(実証)→妄想」ということです.言い方を変えると,結果がある程度揃わない限り,(研究における最低限の)妄想すら成り立たないと言うことです.

自分の専門なので地質の話を例に出しますが,前提になる研究の一切ない地域の地質を検討する場合,はじめは如何なる妄想も成立しません(逆にそれ以前に十分な研究が行われていれば,妄想から入ることもできなくはない).妄想が成立しない替わりに,研究の入り口では,「自分の手法(僕の場合は渦鞭毛藻の層序と群集解析)」がものを言います.自分の手法で,その地質帯を取り敢えず検討してみることで,はじめて「妄想」の下地ができます.実は,(勘違いしがちなのですが)その検討以前に何かの考察を挟むことは(本来)できません.それが出来たとしたら,その人は宇宙意思イデと交信できる人か,そうでなければただのバカ(か紙一重の超天才)です.

サイエンスにおける妄想とは,あくまで自分の脳みそを使って,情報(結果)を自分で勝手に論理で制御した嘘です.逆に,結果(実証)と言うのは,とある検討に対する自分とは無関係に生じる真実です.つまり,何がいいたいのかと言うと,真実(結果)があってはじめて嘘(妄想)が嘘(妄想)になりうる,と言うことです.逆にいうと,美しい嘘を吐くためには,厳密な,バイアスのない真実(結果)を得ることが出来なければダメと言うことです(真実から美しい嘘を吐くことについては,また後日).

結論:真実はいつもひとつだけど,無限の嘘を生むこともできる.
posted by yulico at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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