2010年04月04日

さよなら札幌,こんにちは仙台

かなり長らく放置しておりましたが,一応,元気に生きております.yulico です.

実はこっちのほうには全く報告していなかったのですが,今年度末で研究室の引越しに伴い,学籍が北海道大学から東北大学に移ることになりました.……そんなわけで,大学へ入学して以来,8 年の月日を過ごした札幌を離れました(現在は,既に仙台の住居に移っております).

僕が,こうなることを聞いたのは11 月頃のことだったと思います.指導教官殿に呼び出されて,唐突に「東北大学に移ることになったから,ヨロシク!」といわれました(ここら辺の軽いノリは,端から見るとアカハラ的ななにかにしか見えない気もしますが [笑],自分を含めてそーいう研究室なので仕方がありません).それからは,引越しの準備にてんてこ舞いだったり,身内に忌み事が立て続けにあったりで忙殺され続けていたりでしたので,ここのようなweb 上のアウトプットなどが完全に停滞しておりました.そんなわけで,引越しの報告やら,事情の詳しい説明やらもないまま,このblog も半分閉鎖状態で放置することになっていた,というわけです(かろうじて日記のほうは書いたり書かなかったりしていましたが……).

本格的な引越しが2 月から始まって,3 月のはじめには研究室(@北大)が完全に機能停止.僕は,というと,3 月15 日をもって札幌から撤退しました.

いま現在,先に述べたように僕はすでに仙台に移り住んでいるのですが,一応,まだ,北大の学生であり,東北大の学籍はもっておりません(北大には退学届を提出済みだけど,受理は3 月末日になる……という予定だったのですが,blog へのアップが遅くなり,既に4月ですので学籍は移動済みです).そのため,北大にいても研究室がないし,東北大の利用も(ある程度許されているとはいえ)基本的にはできないという,宙ぶらりんな立場になっています.なので,本格的に研究をすることもできないので(とはいえ,やること,やれることはたくさんあるのですが……),ある程度,時間に余裕があります.そんなわけで,札幌での生活のことを色々,思い返してみても良いんじゃないかなー,と思いました.

更新休止明けにすることではないのかも知れませんが,ちょっとだけ僕の思い出話にお付き合い下さい.

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北海道は,自分の生まれ故郷でもあり(札幌ではなく,函館ですが……),大学〜博士後期課程2 年間までの8 年間を過ごした土地であり,その半分以上を占める研究生活の中で歩き回った土地でもあるので,思い入れが深い土地ではあります(正確に言うと,研究という観点でいえば全く縁が切れたわけではなく,僕が業界を去ることがない限り向こう十数年に渡って北海道という土地自体との関係が切れることはないのですが……).しかし,これは自分でもビックリしていることですが,北海道に対して去り難い郷愁のようなものは,あんまり感じませんでした.……かといって,特に仙台での新生活(?)へ向けての「期待感」といった類いの感情が高まっているということではないのですが…….そういえば,自分の故郷と認識している千葉を去るときも,そんなことを思った記憶がないので,そもそも,僕自身がそういうことに無頓着な冷血人間なんだろうとは思います.千葉を離れるときの感情については,いわゆる遠距離恋愛をすることになる上での去り難さはあったと思いますが…….

僕が札幌に住みはじめたのは,2002 年の春のことです.基本的に,それまで,北海道に来るのは夏であることが多かったので,春先の,まだ,路肩に雪のある景色を眺めながら,「とんでもない地の果てにきてしまった……」と思ったことを,よく覚えています.たぶん,その頃の僕は,希望に胸を膨らませる輝く新入生だったことでしょう.もちろん,まさか自分がそのまま博士後期課程まで進学して,都合,8年もここに住み続けることになる,だなんて,想像だにしていませんでした.

当時は,高校時代から付き合っていた彼女を実家のある千葉に残してきており,高二病を拗らせていた僕は,そういう "悲劇的" なシチュエイションを気取っては,それが格好良い……とまでは流石に思っていなかったけど,ある種のコンプレックスのように思っていて,精神状態はダークサイドよりだったと思います.

〜教養時代〜

教養時代(1 年)は,化学系(当時の入試の制度は理学部の中で「数学系」「物理系」「化学系」「生物系」の4系統から2つ選択する,という形式でした.僕は,「生物系」と「化学系」の2つを選択して,第二希望だった化学系での合格でした)の学生だったので,必修教科が理学部中で最も多く,基本の授業単位を取るだけで週の単位数が22 時限,とか,そういう状況で,毎日,8:45 〜18:00 まで授業詰めだったことを覚えています.

そんなわけで,クラスメイトとは授業時間を長くともにすることになり,比較的,はやく仲のいい友達グループができ,そんな連中と,毎週のように飲み会を開いたり,試験対策の勉強会をやったり,徹夜で麻雀に興じたり……,それなりにリア充チックな生活をしていました.

授業やクラスの外の活動としては,フォークソング研究会(フォークソングとは名ばかりのバンド部)に所属して,ベースとドラムをはじめたりしました.また,1年の後期頃から,家庭教師とコンビニでのバイトをはじめました.この頃は,いまよりも体力が有り余っていたので,朝 4:00 〜10:00 までコンビニでバイト→18:00 まで授業→19:00 〜21:00 まで家庭教師のバイト→翌朝のコンビニバイト……というような,いまからは信じられないようなスケジュールで動いていたりしました.その合間に,週に数回のバンドのスタジオ練習,月に数回の短期バイトなんかもこなしていたのですから,我ながらよくやってたなぁ,と思います.

1年の年度末に,1年後期の授業で出会った山本先生の講義に感銘を受けて,高校まで全く縁のなかった地球科学の分野に進級することを決めました.もともと,生物系(特に系統分類学の講座)志望だったのですが,どう言うわけか,興味の矛先がまったく変わってしまったのでした.この辺りの変遷は,いまもって,自分でもよく解りません.その後,まぁまぁ真面目な学生だった僕は,単位取得数と点数が良かったこともあり,すんなりと地球科学科へ進級するのでした(……というか,地球科学科はそもそも不人気学科なので点数が悪くても選考に落ちることはないわけですが……).

〜学部生時代〜

地球科学科進級直後,「地球科学」の王道は「岩石学」であって,かつて自分が山本先生の講義で興味をもったような「古環境学」や「古生物学」といった学問分野は(少なくとも北海道大学では)傍系中の傍系で,それらを扱う授業なんてほとんどない,ということに気付き,壁にぶつかるとともに,急激に学校に対して熱意がなくなりました(……とはいえ,多少のサボリ癖がついたとはいえ,当時のクラスの中では,それなりに真面目に学校に来て,熱心に授業を受けている学生の部類に入っていたと思います.根が真面目なので……).しかし,そんな風に,はじめは一切興味の涌かなかった「岩石学」や「地球化学」なんかのお勉強も,続けていればそれなりに楽しくなってくるもので,一時は,鉱物学〜岩石学の研究室へ入ることも考えたくらいには興味をもつに至りました(その影には,数少ない「古生物」「古環境」系の授業の「面白くなさ」がかなりありましたが…….特に,当時の「地球史」,「堆積学」や「古生物学」などの授業の一部は,教育として成り立っていませんでした.今になってみれば,M 先生の担当していた「古生物学」の授業について思うところもありますが,当時は,本当に退屈な "なにか" だとしか思えませんでした).

学部も3年生になると,座学だけではなく,お遊び程度の野外実習やマトモな顕微鏡実習が始まるようになりました.そうやって,実物をいじって学問の真似事をできるようになると,一時的に離れていた学問に対する熱意が復活し,地球科学全般に興味が湧くようになりました.しかし,その一方で,地質調査実習の指導をしていたK 先生が,本当に学生を育てることに向かない人(学生を育てる気がない人,と言い換えてもいいかもしれません)で,この人の指導を受けた結果,一時的に地質調査アレルギーのようなものを発症して,卒業研究ではルートマップを描いたり,地質調査をメインにするような研究室に入るのは絶対にやめよう,と思ったほどでした(具体的には,「地質調査の面白みをまったく教えられていない」,「(当時の北大の地質教育全般に渡ってそうなのだが)タービダイトと断層と褶曲と不整合の4現象だけを異常なまでに強調するだけで,学問的に広がりがあることを教えられない」,「ルート調査をルーチン化しすぎて,ただの作業になっていた」,「地質図を書くような調査ではなく,1ルートのみの簡素なプログラムで地質現象の広がりのようなものを理解できない」,「挙げ句の果てに,調査時に露頭に近づくことを禁止される」などなど,教育に対する不満点を挙げるとキリがありません).

しかし,何故か,4年生への進級時には,地質調査が研究のメインになるような地層解析学研究室(旧:層位古生物学研究室,現:地球環境史研究室/たしか,僕が4年生になるとともにこの名前に変わりました)に進学することになるのでした…….この心境の変化も,いまもって,理解ができません.夏の地質実習から半年経っていて,地質調査アレルギーのことを忘れていたのか,そもそも地球科学科進級当初の志望であった「古環境」「古生物」を扱う研究室であったからなのか,夏に野外巡検で触れた現指導教官や当時の教授に惹かれるものがあったのか,(これは当時考えていたことですが)厳しい先生についてしばかれた方が,基本的に怠け者な自分には好ましいんじゃないか,という考えが強かったのか……,それらが複合的に絡み合ったのか,とにかく,何故だか,そんな研究室に進級したのでした.

〜卒論以降〜

卒論のテーマは,4月に入ってすぐに「穂別町(現・むかわ町大字穂別)付近に分布する上部蝦夷層群(鹿島層)の地質」に決まりました.5月頃まで文献調査や,車・調査道具の調達に費やし,はじめてフィールドに入ったのが6月初旬だったと思います.このとき僕を調査に連れて行ってくれたのは,いまの僕の師匠で,当時,北大でPD 研究員をしていた高嶋さんでした.このとき,ついで,ということで手伝いとして入った高嶋さんの下部蝦夷〜空知層群のフィールドの道程がキツく,熊だらけで非常に怖かったにも関わらず,最終的に「面白い!」という感想を抱いてしまったのが,その後の僕の運命を決めたのでしょう……orz

卒論時は,7 〜10 月下旬まで,一人で山を歩き回りました(当時は金がなかったので,宿泊費節約のため長期滞在はせず,3 〜4 日くらいを車泊で耐える,という単発調査を毎週くり返す,という調査スタイルでした).この2 〜3 ヶ月の経験で,地質調査の面白さに目覚め,それが,現在までの研究の原動力に繋がっているわけですから,人生って単純だなぁ,と思います.

その後,修士論文,博士論文と,様々な山を歩き回ることになったり,師匠のフランス〜イタリアの調査に同行したり,色々なことはあったのですが,この辺りの出来事は,このblog にも散々書かれていることなので,思い出としてわざわざ振り返ることもないと思います.

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こうやって振り返ってみると,8年は長かったなぁ,と思うとともに,いい加減,あの土地にも馴染みすぎていたので,新天地に移るには頃合いだったのかなぁ,ということも思わないではありません.別に土地に馴染むのは悪いことではないんですが,あんまりにも馴染みすぎると,そこで腐ってしまうことも,ありえない,とは言えないので…….

幸い,ここ2 〜3 週間,仙台で過ごしていて,(学校が山の上の隔離された土地にあり,札幌都心に位置していた北大に比べ,非常に不便であることを除けば)この土地は,なかなか暮らしやすいところだと思いました.まぁ,こんなところに1, 2 年住んでみるのも良いんじゃないか,といまは,思っています.これまで,関東平野のど真ん中である東京・千葉,扇状地の上の札幌市など,平坦な土地にしか住んだことがないので,坂道だらけの町に住むのも,それなりに面白いと思います.

そんなわけで,これから,本州人としてしばらくは生きていくことになるので,よろしくお願いします.
posted by yulico at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | にっき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする