以前も引用したことがあったかも知れないが,個人的に感銘を受けたエピソードの紹介なので改めて引用しておく.「倉田わたるのミクロコスモス」中の廃墟通信より2008 年4 月15 日「知恵と力について(http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruina84b.html#080415)」を引用します.
天井からバナナをぶら下げた部屋の中に、棒と、台と、チンパンジーを入れ、チンパンジーが「道具」を使ってバナナを取ることができるかどうか、という例の実験を行っている様子を窓越しに見ながら、「超能力者の知能」に関するディスカッションが行われている。窓の向こうでは、チンパンジーは道具を使うことに(まだ)思い至らず、空しくジャンプを繰り返しているのであるが..対話をしているひとりが、「ですから、超能力者は、多くの場合、白痴であると考えられるのです」。もうひとりが(不吉な予感に身を震わせながら)「それは何故ですか?」。「なぜなら、知能を持つ必要がないからです。生まれ付き持っている力だけで、なんでも見ることができ、なんでも得ることができるのなら、なぜ、考える必要があるのでしょう?」..そのとき、実験室の中のチンパンジーは、苛立って、思いきりハイジャンプをしてバナナを叩き落としてしまった。道具を使うことなしに..
これは,元記事の紹介によると某SF 短編のワンシーンらしいのだが,要約すれば「圧倒的な力さえあれば知恵などいらない」ということ.
閑話休題.
この理屈に従えば,間違いなく,全知全能の神がいたら白痴なのだろうと思う.それは,多分,世の多くの創作に描かれる神が白痴に近いものとして描かれるのと同じだろう.
じゃあ,白痴の人間は,神になり得るのか?
この答えは,多分,YES.
神の前に人は,ひれ伏し,せいぜい慈悲でも請うしかないのではないだろうか?