多分,博士後期課程に進学することに迷っている人とか,研究者を夢見る高校生の参考にはまったくならないと思います.
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1.マスターからドクターに進むとき、迷いはありませんでしたか?
迷わなかったと言ったら嘘になるけど,迷っているって言う風に見られたり,迷っていると口に出すのは本質的に何の解決にもならないしダサイから(重度の中二病かつ性格の問題で),あんまり迷っている風は見せてなかった.だから,傍目には修士時代にあんまり迷っているようには見えなかったんじゃないかなー.
博士課程進学の決め手になったのは,修論じゃなくて卒論の後始末をしているときの出来事.(特に何と言うきっかけもなく)ある瞬間,ふと,研究全体がすんなり見渡せるようになって,事象と結果と自分の脳内の考えが一本の筋で繋がって見えたとき,研究が急に面白くなってきたから(……と結果をコツコツ溜め込んでいくことに快感をおぼえたから).
もっとグダグダなことを言うと,修士課程に進学した時点で博士課程進学はほとんど決めていました.だって,就職するなら学部新卒のほうが長く勤められるしね.普通の企業に普通に就職していれば,自分の能力でも普通に出世できるのだろうなー,と思っていたし(今もそう思うからこそ,自分の現状を省みて後悔するわけです).
2.学部生の時や修士の時、どうして研究者になろうと思いましたか?
研究者になろうと思ったことは,(幼少時にものも解らずに憧れていた時期を除いて)一度もない.もちろん,今も研究者になろうと思ってはいません(……と断言することが必ずしも就職希望である,ということではありませんが).
あくまで個人的な見解なのでスルーしてもらって構わないのですが,研究者(定義が曖昧ですが「研究することでお金をもらう人」と言うことにしておきます)って言うのは「なろう」とか「なりたい」とか思う対象ではなくて,なるべきときになるべき場所があり,周囲(というか金主)がそれを認めてくれればそうなるもんだと思うのです.だって,お子ちゃま的な発想で「研究者になりたい」って言ってるのってダサイじゃん?(中二病をこじらせているので)
もうちょっと真面目にいうと,研究者になるということは,自分の意志の有無ではなくて,他者が自分を評価することが前提だと考えているからです.他者が自分のスキルを必要としてくれて,それを生かすべき場があれば,自分は研究職(アカデミックポストに限らず)に就くであろうし,もし必要とされなければ,すっぱりと研究からは足を洗うつもりです(と言っても,地質屋を辞めるつもりはありませんが……).
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