2009年01月26日

かたちで分ける

こんにちわ.yulico です.

一つ前のふざけた記事で「科学的に形態で分ける」という話に触れたのでついでに書き記しておきたいことがあるので書きます.あくまで個人的な立場表明です.

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私の専門の一つは(微)古生物学ということになっています.もちろん,メインは地質〜層序なんですが,化石取り扱い者なので分類屋でもあるのです.

古生物学というのは,まさに「科学的に(?)形態を見る」ことが本質です.ぶっちゃけ,こういう生き物がどうだったとか,この時代はこういう環境だったとか,そう言う議論はおまけです.本質的には記載することが目標なので古生物学と言うのは形態分類学と言い換えることも出来ます.そもそも一般的にメジャーな古環境とか古生態とかの議論も形態分類の結果ありきですから…….

で,実は,この「科学的に」という言葉がくせ者でして…….一般的に広く誤解を与えている気がするのです.

そのことに関連した最新のニュースとして偶然下記のようなものをみつけました.それがまさに今回話題にしたいような,古生物学とか形態分類にまつわる諸要素が濃縮したような面白いものだったので紹介します.

URL は載せておきますがどうせすぐに流れるので引用転載します.

姿は違うが…親子と判明 3 科の深海魚、DNA ほぼ一致
http://www.asahi.com/science/update/0124/TKY200901240035.html

姿は違うが…親子と判明 3科の深海魚、DNAほぼ一致

 これまで別ものとされてきた深海魚の三つの科が、ひとつにまとめられそうだ。日米豪の国際研究チームが、3科が成長とともに姿を大きく変える魚の子ども、雄、雌にあたることを明らかにした。英専門誌バイオロジー・レターズ(電子版)に発表した。

 キンメダイに近い仲間のリボンイワシ科、ソコクジラウオ科、クジラウオ科の3科で、それぞれ体長の5倍以上もある長いリボン状の尾、肥大した嗅覚(きゅうかく)器官、クジラのような顔つきといった特徴をもつ。

 見直しのきっかけは、チームに加わる千葉県立中央博物館と東京大海洋研究所などが03年に発表した論文。魚類100種のミトコンドリアDNAの塩基配列を比べたら、リボンイワシ科とクジラウオ科にほとんど差がなかった。この結果に米豪の学者から疑問が出されたが、共同研究により、ソコクジラウオ科まで含めた3科のDNAにほとんど差がないことがわかった。

 世界中の標本を調べると、リボンイワシ科は成熟個体がなく、ソコクジラウオ科は雄ばかり、クジラウオ科は雌ばかりということも判明。チームは3科をクジラウオ科に統一するよう提唱する。

 魚で親子や雌雄の姿が違うことは珍しくないが、同館の宮正樹・動物学研究科上席研究員は「この仲間の姿の違いは魚類学者の想像を超えていた」という。


元の論文にちゃんと当たる余裕がないので)この記事と元の論文のアブストのみからの判断になりますが,要は,これまで形態で分類していたら三つの科に分かれていたものが,形態比較とDNA で見たら一つにまとめられそうっていう内容です.なんか,このニュースの書き方だといままで三つの科に分かれていたものが一つの種にまとまったかのように見えますが,そうではなくて「今までは一つの科(Cetomimidae)のオス,メス,幼体の一般的な形態を大分類で三つに区分してたんだよー」という内容です.ようは「オタマジャクシとカエルを別な生き物(分類群)として扱ってたけど,実は一つの生き物の幼体と成体でした」というようなニュアンス.オタマジャクシの例えと違って,そもそも観察した総個体数が圧倒的に少ないからこれまで解らなかった,と言うことです.

例によって例のごとく,外人が筆頭著者なのに日本のニュースだけまるで日本人が研究しているかのように書かれていますが…….まぁ,今回の件は元々この論文(リンク先は大学等の論文閲覧可能な環境のみ)が発端らしいので良いかと思います.

このニュースに関連して言いたいことは,形態分類という学問の上で形態を見るということは,単に幾何学的な特徴を見ているのであって,決して何らかの機能や運動の表現形を見ているのではない,ということを肝に命じておくべきだということです(あくまで,形態分類に関してね.機能形態学っていう概念はまた全然別の話なので今回は置いておきます).当然,形態分類と名乗って,ただの「形」を記載している限り,今回のような実際の(より正確な言い方をするなら生物学的な意味での)分類との齟齬は生じ得るわけです(ここで勘違いされると困るのは,だからといって形態分類に意味がないわけではないと言うこと.DNA のシーケンスを使った,厳密な意味での分類っていうのは当然大事なものなんだけど,それすら形態的なものを反映した「なにか」であるのは事実なので……/後述).

なんでまたこんな見解を今更(そう,今更です)表明する必要があるのか,というと,根本的に「形態分類」という概念がよく分からなくなっている人が多く見受けられるからなのです.誰とはいわないけれど,これから修論を提出しようって人間がよく解っていない辺り「どーなんだろ?」とか思うわけです.そんなレベルなら,一般の人の理解なんて推して知れます.

例えば,上記のニュースを見た人は「形態分類なんて間違いだらけのものと違って,DNA って凄いんだな」とか思うのでしょうけれど,「DNA っていっても所詮ただの形態だっていう事実に気付いているのかしら?」と思ってしまいます.単純に形の違いが「見やすい」からDNA を見るのであって,本質的な思想は「形態分類」そのものなんですよ,DNA のシーケンスってのは……(基本的には,DNA の塩基対が違う→コードも違う→具体的にどこかはよくわからないけど,何かの表現形が違うだろう……という論理).だからこそ,今回の論文のように,DNA のシーケンスだけではなく形態学的な検討がついていないと分類の位置は動かないのです.

で,本題の形態分類の話です.

古生物学の場合,見るものは過去の生物の残骸です.よって,得られる情報が限られてきます.当然,ほとんどの有機物は腐敗し,通常,骨だとか殻だとかいう無機的なものしか残っていません(僕のやっている化石はその中では凄く変わっていて,有機質の膜が化石として保存されています.これは,この生き物の殻が,偶然,腐りにくい有機物だっただけなので,こういう例は本当に稀です).その無機的なものですらも,長い地層中での続成作用(ようは元素の移動や置換)によって元々のものとは変わっていることがあります.さらに,それらの残骸は,地中で巨大な圧力を被り,多くの場合はひん曲がっています.

そう言うことが前提にある以上,古生物を扱うには基本的に「形を見る」必要があります.そして,同時に「慎重に形を記載する」必要も出てきます.普通に脳みそが入っていれば当たり前に理解できることです(と言いつつ,本業でそれを勉強している人間の中にもそれを理解していないおバカちゃんがいるのですが……).

それで,重要になってくるのが学問に参加する人間の「もの」に対するスタンスです.

(ここまでは一般論.以下は,冒頭でも述べたようにあくまでこれは個人的に古生物学に対峙する時のスタンスに関する表明なので,断りのない限り「僕個人のスタンス」という意味です)僕の場合,

「古生物は(人為的な)特定のルールや条件の元,形態によって分類されるべきである」

「古生物の形態分類は自然分類ではないし,その形質は機能や生態と相関しない」

「自然分類を反映しない形態分類は生態や進化と相関しないからこそ,算数の対象として扱うことができる」

「統計的に有意なものは有意である(と同時に経験的な認識は統計的にも有意である)」

……という四つにまとめることができる(と言ってもいま書きながら適当に考えた項目なので色々遺漏はあると思う).大分,微古生物学的な見地に依っているし,他人から見ると極端に見える思想ではある(かもしれない)けれど,あくまで僕の個人的なスタンスなので問題はないでしょう.誤解を生みそうな表現が多々あるけど,別に誤解されて困ることはないしねぇ.

大分,長くなっているのでそろそろまとめます.

結局,僕の言いたいことは「分けるということは分かるということではない」ということです.分類は分類であって,なにかを解釈した結果ではありません.ちょうど,古文の「品詞分解」と「読み下し」の関係と似ています(この場合,分けた品詞には対応する意味があるから完全に同じ例ではないです).品詞分解できるということは,その文章を読めるということではないですよね?

結論:多分,某掲示板の住人であるRIBON-Y くんの望むような成果は古生物学からは出てこない.

「古生物と形態」にまつわるもう一つの柱であるところの「機能形態」に関しては,(基本的に興味がないし)僕がなんかをいうまでもなく,同僚が専門で色々書いているのでそちらを参照すると良いと思います.

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追記記事
「かたちでわける話の続き」
「機能形態屋はかたちをみない」
「暴投に返信来た」
「予定は未定」
posted by yulico at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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