「痛いテレビ」さまの記事より.
「麻生の手紙が間違ってるとマスコミ嘲笑
(http://zarutoro.livedoor.biz/archives/51151481.html)」
引用先に手紙の写真が載っているので,ご確認頂きたいのですが,この文章,旧字,変体仮名まじりで書かれていますよね(「お心ずかい」の「お」とか,「恐縮でした」の「た」とかの変体仮名,「景氣対策」の「氣」とかの旧字など,他にも普通に見たことのない文字がいくつか混じっているのが分かると思います.ただし,統一はされていません).ただ,このような文語的な文字使いをしている一方で,本来,文語では「お心ずかひ」または「お心づかひ」(問題の「ず(づ)」については,文語で書くという前提があれば後者が正しい.つまりマスコミの勝ち)と書くべきなのに,「ひ」ではなく「い」を使っています.全然,統一されていませんね.
……ということは,麻生さんはときどき文語的な文字は使っているけれども,口語体で文章を書いている,と言うことになります.
--
実は,こういう文章の文字の選択の基準をどこに引くのかは,結構,難しい問題でして,必ずしも,口語体で文章を書いているからと言って,旧字や変体仮名を使ってはいけない,という法則はありません.
そして,決してどこかに旧字を使ったからと言って,全てを旧字に統一しなければならない,という法則もありません.
じゃあ,なにで文字が決まるのか?
……実は,適当です.
いや,正確には適当というと語弊があるのですが,(特に手紙とか,一時的な実用書においては)流れでなんとなく文字を選んでも間違いとは言えません.美醜を気にする人であれば,筆の流れ的に美しくなければ,平気で口語でも変体仮名を入れますし,同じ文章の中で二度,同じ字体は使わない(例えば,旧字と新字を混ぜる,とか),なんてこともあります.
麻生さんの出自や,ばんばんと変体仮名を使っているところなどを鑑みると,少なくとも,僕がいま述べた程度の「書」の教養はあるように思います.つまり,「心ずかい」の「ず」にしろ,その他の変体仮名にしろ,流れで出てきたものを適当に書いたと考えるのが妥当と言えます.つまり,麻生さんは間違えてなどいない,というのが僕の結論です(ただし,これは麻生さんが現代仮名使いで「づかい」が正しいことを知った上で,なお,「ずかい」を用いた,ということを証明するものでもありません).
--
さて,ここで問題となってくるのは,麻生さんの運筆が,上記の説を強く支持するほど,説得力があるのか?……ということです.
う〜ん…….
実用書であり,(おそらく)走り書いたことを鑑みれば,一般的に上手な字だとは思いますけど,文字の最後が散らかっちゃいけない方向に散らかってたり,手前の文字が素直に下に伸びているのに,次の文字の選択で敢えて左に振れないと書けない仮名を選択していたり,お世辞にも美しいとは言えないと思います…….
まぁ,所詮,実用書の走り書き,という感じでしょうか?