2009年11月15日

なんで若手研究者はすぐ死んでしまうん?

前記事前々記事では,あくまで感情論を交えずに,できるだけ理性で書こうと思って書いてきたわけだけれど,それらを書きながら,また,事業仕分け(WG3)の音声ファイルを聞きながら,沸々と湧き上がる怒りの感情が抑えきれなくなってきたので書きます.

(※個人的な,どす黒い,醜い感情論になるので,以下,閲覧注意)

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僕自身が,研究者を志望しはじめたのは,記憶にはっきりと残らないくらい昔のことです.小学校の卒業文集には既に,漠然と「科学者になりたい」,なんて書いていたと思います.もっと具体的に,研究者になりたいと思いはじめたのは,過去にこの記事で書いた通り,修士以降のことになります.まぁ,研究自体の面白さが実感として理解できて以降のことです.まぁ,中二病を患っているので,いつもは「研究者になりたいんじゃなくて研究者として受け入れてもらえるかどうかだ」なんて格好をつけていっていますが,自分の研究分野でひとかどの成果をあげて,評価されたい……という野望はありますし,できることなら自分のやりたい研究をやりたいようにできる立場になりたいと思っています.そして,そのための努力はしてきたつもりでもいます(多分,ほとんどの僕と同じような立場の人はそうでしょう).

最先端の研究を知りたいと思ったし,追いつき,追い越したいと思ったから,英語を勉強して沢山論文を読みました.
単純に,知りたかったし,理解したかったから,自分の研究・知見を深めるために,ヒグマだらけの山を歩き回って,基礎データを集めたり,室内実験用の試料を採集してきたりしました.
新たなデータが増えることが喜びであり,発見であったから,休日を返上してデータだし作業を続けました.何日も学校に泊まり込みました.

……こんな努力自体,好きでやってきたことですし,別に苦痛に感じるようなことはありませんでしたけれど,そういう行動の原動力の中に「いずれはこれらが評価されて,研究者になる!好きな研究を仕事にできる!」という思いが確実にあったわけです.そんな僕のような学生や研究員のもつ,ちっぽけな夢,研究に身を削る覚悟,そして研究者志望の若者の将来の可能性を,簡単な予算取りゲームの結果,奪う権利が国家にあるのでしょうか(奪う,というのは大袈裟ですがボッキリと心が折られたのも紛れもない事実です)?敢えて陳腐な言葉遣いをしますが,研究者志望の人間の夢や希望の源を断つことが,本当に国民のためなんでしょうか?

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事業仕分け(WG3)の音声ファイルを聞いていると,(この議論自体の分析や細かい批判については多くのblog で行われているようですので,ここでは割愛しますが)「議論・論点のすり替え」「(文科省の提示する)実際の数字に裏打ちされていない,印象だけでの決めつけ,批判」「議論の齟齬」「本来審議すべき案件と別件を持ち出しての無理矢理な批判」などが続々飛び出してきて頭が痛くなります.まさに詭弁です.こんな1時間そこそこの議論とも呼べないようなものだけを見せつけられて(実際には事前折衝やなんかがあったとしても),それでどう(将来を奪われた)自分たちの気持ちに整理をつけろというのでしょう?急に「死ぬか,やめるか,いま以上の(方向性は一切示さないけど)努力をしろ」と,宣告されて,どうやって希望を持てというのでしょうか?……仮に努力を続けても,「仕分け人」の判断ひとつで,研究プロジェクトの予算そのものが吹っ飛んでしまうかも知れないのに…….

そして,これらの仕分けによって削減された予算が「公立高校無償化」などの愚策に消えていくという,やるせなさ.悔しさ.ここに至るまでの自分に投資してきた時間や金が一体なんだったんだろう,という空しさ.…….

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「(大学院重点化に)踊らされた人間が悪い」
「研究者への門戸が狭くなるのであれば,更に努力をすれば良いだけ」
「役に立たない研究をしていたのが悪い.役に立つ研究になればいい」……etc.

……様々な無責任な声が聞こえてきます.いや,無責任と書きましたが,もしかしたら世間一般でいうところの正論なのかもしれません.立場が違えば見え方も違うことでしょう…….もしも,僕がこんなところにおらず,大学卒業後に適当な企業に就職していて,サイエンスの世界から離れて,勘も鈍っているのだとしたら,こんなセリフを吐いているのかもしれません.でも,そんなことはわかりません.逆に言えば,そういう立場の人たちには,僕らの立場がいま感じている絶望や失望,将来への不安がわかることはないでしょう.それなのに,それらの絶望感が解らない人たちの決めつけた「仕分け」だけが正義としてまかり通るのです.理解しあおうとお互いに努力することなしに,一方的に…….

本当に,ただ,悔しいです.

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なお,こんな愚痴や感情の吐露を導きだすのは,現政権のダブルスタンダードや,本来の方法論を歪めた "事業仕分け" そのもの(販売元(?)である構想日本の提唱する事業仕分けと現行政権で行われている "事業仕分け" は全くの別物です),その他,諸々の現政権に対する不満が鬱積しているからなのですが,それは,もっと深い政治の話になりますし,本題から大きく外れてしまうことなのでここでは語りません.
posted by yulico at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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