閑話休題.
二,三年くらい前から「大学のレポートにウェブ上の情報を引用している学生がいる」だとか,「平気で引用文献にWikipedia のURL を書く」だとかという話が真しやかに囁かれていました(つーか,自分が教養部にいたころ,レポート課題を出した先生が,冗談めかして「引用文献っていってもウェブ上の文献なんか引用するなよ?」的なことを言っていたような気がするので,教養部の学生相手の教員的には7 年前くらいには少なからずそういう非常識な学生の存在を認識していたんだと思う.ただ,具体的にニュースで取り上げられたり,「冗談」の域を超えて「ウェブ上のコンテンツを〜〜」という注意をするようになったのは,やっぱり2, 3 年前くらいじゃないかと思う).
しかし,まぁ,僕自身はそういう事例を実際に見たこともなければ,自分がそういう行動を取るような非常識人でもなかったので,そういうニュースなどを聞いても「ふーん,そんなアホがいるんだなー」くらいにしか思っていなかったわけです.まぁ,ティーチングアシスタントをしていて,学生から「こういう分野に少し興味があるので,こういうことがまとまっているウェブサイトとかってないんですか?」みたいな質問をされたときに「推薦書」じゃなくて「推薦ウェブサイト」をきく感覚ってすげーなー,などと世代間ギャップに驚かされたことはあるんですが……(そのときは普通に「分野的にマイナーだし,そもそもウェブサイトは情報の信頼度が低いから勧めないけど○○とか●●とかの本は入門書としてはお勧め」みたいなことを言った記憶があります).
さて,そこで先日の話.ゼミの発表前に指導教官と発表者が雑談以上ディスカッション未満な会話を繰り広げているときに,研究室の新入生が放った一言が僕の中の何かを崩壊させました…….
「それはWikipedia で調べれば良いんじゃ……」
「とうとう研究室にそういう新世代が入って来たか……」と,なにか諦観にも似たもので僕の心は満たされました.「人は自分の理解をあまりに超えた事象に出会うと全ての感情を通り越して笑ってしまう」とかいいますが,まさにそれ.そして,一頻り引きつった笑いを浮かべた後に,背筋に言いようのない悪寒と,薄ら寒い恐怖感を伴う不安が競り上がってきました…….
おそらく,僕のいる大学はそれなりのレベルの大学なので,そもそもこういった非常識は通用しない,入り込まない傾向があります.それなのに,この大学で三年間も教育されたはずの人間から,上記の台詞が吐き出される時代が来てしまうとは……(まぁ,その後の観察により,その発言をした子はその学年の中でダントツに飛び抜けていることが発覚したのがせめてもの救い.しかし,その子がサイエンスに対して厳しいことで有名なうちの研究室にいるとか……).
この話は,間違いなく笑い話です.今は,そんな「アホの子」が学年に一人いるだけという,ただの笑い話にすぎません.しかし,僕はあと五年先にもこういう「アホの子」を笑い話に出来ると思えません(笑えないくらい問題が拡大するだろう,と言う意味で).そして,十年先を考えると,もしかしたら一般人から見たら「アホの子」なのは僕の主張の方になっているのかも知れないと思わないでもないです(少なくとも学術分野でこういう「アホの子」が通用する時代は永遠に来ないと思うけれど……).多分,新入生の彼に感じた漠然とした不安は,こういった未来が来ること,想像出来てしまうこと,に対する恐怖を多分に含んでいるんだろうなぁ…….
閑話休題.
以下,愚痴に近い何か.
多分,ここ十数年と言う期間は,色々な意味でもの凄いパラダイムシフトが起こって来た時期なんだろうけれど,おそらく,そのシフトの前後をマトモに認識できている最後の世代が僕らだと思う(いや,もっと上の人から見れば僕らも十分に新人類なんだろうけど,今回のパラダイムシフトにおいて最も重要と思われるウェブの一般化の前後って意味でね).あらゆるコモンセンスに共通して言えることだと思うんだけど,変容することそれ自体は仕方がないにしても,確信犯で全ての旧式な感覚を変える必要性はないんじゃないかなぁ……という疑問が僕の中では必ずわき上がります.それらの疑問を挟む余地なく変容を許容してしまう,現在の社会はあまりに左向きすぎると思うんだ…….少なくとも,過去の常識の中に,変える必要も変わることを望む必要もないことって沢山あるはずだよね.そして,それって常識と言うものの中でも,無視してはいけないいちばんコアな部分だと思うんだ.
結論:左翼は死ねば良いと思う.