2010年01月18日

Daily Mail のヒドい記事

イギリスのDaily Mail 誌に,温暖化関連のヒドい捏造記事が載りました.しかし,日本では,その記事が捏造であると言う事実が知られておらず,あたかも「当代一流の学者が現行の温暖化を否定した」かのように吹聴されています.下記のリンク先の記事に詳しく書かれていますが,この件はイギリス本国では,取り上げられた学者本人が反論記事を掲載するまでの問題に発展しています.

これらに関して,日記の方につらつら書いてしまったので,その記事にリンクしておきます.

http://dokuwakooshow.blogspot.com/2010/01/blog-post_18.html

時系列で情報が入るたびに追記していったので,若干,全体像が掴みにくい記事になっています.ご了承下さい.

時間ができたら,ちゃんとまとめたいと思いますが,いま現在,本当に身辺に余裕がないので,ご勘弁下さい.
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2009年11月15日

なんで若手研究者はすぐ死んでしまうん?

前記事前々記事では,あくまで感情論を交えずに,できるだけ理性で書こうと思って書いてきたわけだけれど,それらを書きながら,また,事業仕分け(WG3)の音声ファイルを聞きながら,沸々と湧き上がる怒りの感情が抑えきれなくなってきたので書きます.

(※個人的な,どす黒い,醜い感情論になるので,以下,閲覧注意)

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僕自身が,研究者を志望しはじめたのは,記憶にはっきりと残らないくらい昔のことです.小学校の卒業文集には既に,漠然と「科学者になりたい」,なんて書いていたと思います.もっと具体的に,研究者になりたいと思いはじめたのは,過去にこの記事で書いた通り,修士以降のことになります.まぁ,研究自体の面白さが実感として理解できて以降のことです.まぁ,中二病を患っているので,いつもは「研究者になりたいんじゃなくて研究者として受け入れてもらえるかどうかだ」なんて格好をつけていっていますが,自分の研究分野でひとかどの成果をあげて,評価されたい……という野望はありますし,できることなら自分のやりたい研究をやりたいようにできる立場になりたいと思っています.そして,そのための努力はしてきたつもりでもいます(多分,ほとんどの僕と同じような立場の人はそうでしょう).

最先端の研究を知りたいと思ったし,追いつき,追い越したいと思ったから,英語を勉強して沢山論文を読みました.
単純に,知りたかったし,理解したかったから,自分の研究・知見を深めるために,ヒグマだらけの山を歩き回って,基礎データを集めたり,室内実験用の試料を採集してきたりしました.
新たなデータが増えることが喜びであり,発見であったから,休日を返上してデータだし作業を続けました.何日も学校に泊まり込みました.

……こんな努力自体,好きでやってきたことですし,別に苦痛に感じるようなことはありませんでしたけれど,そういう行動の原動力の中に「いずれはこれらが評価されて,研究者になる!好きな研究を仕事にできる!」という思いが確実にあったわけです.そんな僕のような学生や研究員のもつ,ちっぽけな夢,研究に身を削る覚悟,そして研究者志望の若者の将来の可能性を,簡単な予算取りゲームの結果,奪う権利が国家にあるのでしょうか(奪う,というのは大袈裟ですがボッキリと心が折られたのも紛れもない事実です)?敢えて陳腐な言葉遣いをしますが,研究者志望の人間の夢や希望の源を断つことが,本当に国民のためなんでしょうか?

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事業仕分け(WG3)の音声ファイルを聞いていると,(この議論自体の分析や細かい批判については多くのblog で行われているようですので,ここでは割愛しますが)「議論・論点のすり替え」「(文科省の提示する)実際の数字に裏打ちされていない,印象だけでの決めつけ,批判」「議論の齟齬」「本来審議すべき案件と別件を持ち出しての無理矢理な批判」などが続々飛び出してきて頭が痛くなります.まさに詭弁です.こんな1時間そこそこの議論とも呼べないようなものだけを見せつけられて(実際には事前折衝やなんかがあったとしても),それでどう(将来を奪われた)自分たちの気持ちに整理をつけろというのでしょう?急に「死ぬか,やめるか,いま以上の(方向性は一切示さないけど)努力をしろ」と,宣告されて,どうやって希望を持てというのでしょうか?……仮に努力を続けても,「仕分け人」の判断ひとつで,研究プロジェクトの予算そのものが吹っ飛んでしまうかも知れないのに…….

そして,これらの仕分けによって削減された予算が「公立高校無償化」などの愚策に消えていくという,やるせなさ.悔しさ.ここに至るまでの自分に投資してきた時間や金が一体なんだったんだろう,という空しさ.…….

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「(大学院重点化に)踊らされた人間が悪い」
「研究者への門戸が狭くなるのであれば,更に努力をすれば良いだけ」
「役に立たない研究をしていたのが悪い.役に立つ研究になればいい」……etc.

……様々な無責任な声が聞こえてきます.いや,無責任と書きましたが,もしかしたら世間一般でいうところの正論なのかもしれません.立場が違えば見え方も違うことでしょう…….もしも,僕がこんなところにおらず,大学卒業後に適当な企業に就職していて,サイエンスの世界から離れて,勘も鈍っているのだとしたら,こんなセリフを吐いているのかもしれません.でも,そんなことはわかりません.逆に言えば,そういう立場の人たちには,僕らの立場がいま感じている絶望や失望,将来への不安がわかることはないでしょう.それなのに,それらの絶望感が解らない人たちの決めつけた「仕分け」だけが正義としてまかり通るのです.理解しあおうとお互いに努力することなしに,一方的に…….

本当に,ただ,悔しいです.

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なお,こんな愚痴や感情の吐露を導きだすのは,現政権のダブルスタンダードや,本来の方法論を歪めた "事業仕分け" そのもの(販売元(?)である構想日本の提唱する事業仕分けと現行政権で行われている "事業仕分け" は全くの別物です),その他,諸々の現政権に対する不満が鬱積しているからなのですが,それは,もっと深い政治の話になりますし,本題から大きく外れてしまうことなのでここでは語りません.
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研究したいことも研究できない こんな世の中じゃ Poison ♪

前の記事関連で,もう少しいいたいことがあるので書きます.

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世情を眺めてみると(と言っても,僕の見ることができる世情なんて2ch やどこぞのつぶやきなどの限られたものな上に偏っている意見ではあるのだけど),どうやら(関係者を除く)世の中の多くの人々は,「研究者に死ねというのはいくらなんでもヒドい(よく解らないけど,科学技術を捨てたら日本にはなにも残らないんじゃないの?派)」という意見と,「基礎研究が何の役に立つのか説明できない方が悪い(自己責任・自業自得だよ派)」という意見と,「英断だ!科学研究関連予算なんて本当に無駄だから全部カットしてしまえ!(科学研究なんていらないよ派)」という意見と,「事業仕分けの仕方に問題があるから,見直すべき(そもそも制度が問題だよ派)」という意見に分かれている気がします.大体の場合,前の2つの意見が枢要を占めて言い争いをしていて,後の2つの見解を述べる人がちょこちょこと現れる,という比率です.そして,多くの場合,そこに,僕のような立場の研究者見習い〜ポスドク研究員と思しき人々のあげる悲鳴や断末魔の叫びのような意見が挿入されています(例:http://hamusoku.com/archives/768639.htmlhttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1337343.html など).

僕自身がこの政策方針に対して思うことは,前の記事で言ったので,そちらを参照願いたいのですが,端的に言って世紀の愚策だと思います.

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今回の事業仕分けは(若手研究者の大粛正に留まらず),今後の研究者の研究計画策定そのものに大きな影響を与えるであろうことが容易に予測されます.即ち,政権をもつ人々(や全く研究に理解のない多くの一般市民)にとって「意味があると思い込ませられるかどうか?」が,今後の研究プロジェクトの策定における最大のポイントになるでしょう.

もちろん,これまでもこういう論点はあって,多くの研究者は「(社会や国のためになるという)建前がないと好きな研究ができないんだー」なんて冗談めかして語っていたものです.しかし,今回の仕分けの結果を受けて考えると,これまで以上に無知な人間が研究予算に口を出し,審判していく世界になることが容易に想像できます.つまり,これからは,これまでのような文部科学省の役人よりもさらに研究に対して無頓着な一般人に毛の生えた程度の "仕分け委員" さまが,研究自体の生死を決めていくことになるのです(つまり,省内の予算折衝までの段階で専門家集団によって高く評価されていた研究事案であっても,"仕分け委員" さまの裁量ひとつで予算そのものが吹っ飛んでしまうことがあり得るわけです.少し穿った見方かも知れませんが,"仕分け委員" さまが日本語を理解できないお馬鹿さんだった場合,「(私たちにはその研究が理解できないし,必要とは思えないから)予算は出しません」という事態になり得るわけです).

えー.

なんだか,最早,ギャグかなんかのようですが,スーパーコンピュータ関連の予算削減の記事などを読むと,

「(コンピューター性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」という仕分け人の発言。

「一時的にトップを取る意味はどれくらいあるか」(泉健太内閣府政務官)「一番だから良いわけではない」(金田康正東大院教授)「ハードで世界一になればソフトにも波及というが分野で違う」(松井孝典・千葉工業大惑星探査研究センター所長)などと、同調者が相次いだ

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091113/stt0911131914010-n1.htm より引用)

……なんていう数々の危険発言が飛び出しており,どうやら夢でもネタでもなんでもなく,現実の模様です(つーか,同調者の中にもろにスパコンを使った研究で被害が出そうな人間がいるのがアレですが……).

そのうち,研究者が「こういう意味で社会に役に立つ」という観点からしか研究テーマを探せない世界がくるんだろうなぁ…….それって,本当に日本の科学の終わりですよ.

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研究ってさ,そりゃ,社会の役に立つんだったら,そういう研究のほうが好ましいと,僕だって思いますよ.でも,「現時点で社会の役に立つことが解っている研究」って,基礎科学の分野にはほとんど存在しないし,仮にあったとしても基礎科学としては,ほとんど終わりかけな(先の見えている)分野なわけで……(応用になると基礎科学の範疇ではなくなるので).仮に「役に立つ可能性がある研究」というところまで範囲を広げたって,その数や将来性はたかが知れています.

じゃあ,そういう研究を見つけるためには,どうすれば良いかといえば,単純に研究者と研究分野の多様度を高めるしかないと思います(そうでなければ,ノストラダムスクラスの予言者を育成して,次にどの分野が大々的に発展するかを予言させるために国家予算をつぎ込むべき).各々の研究者に,やりたいことをやりたいようにさせるべきなんです.そこに(科学分野に関して)無知な第三者による評価やなんかが入り込むこと自体が,本来,ナンセンスなんです.

本来,貴賤も尺度もなにもないものに対して,適当に線を引いて,無理矢理,「評価(と称するなにか)」しようとしたって,なにも評価できるわけがないはずなんだけど,そんなこともわからないんだろうか…….それとも,本当に「民意(と称するなにか)」が研究者の生死に勝ると思っているんだろうか?(多分,後者なんだけど)
posted by yulico at 05:49| Comment(2) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本の科学終了のお知らせ

こんばんわ.yulico です.

……最近,忙しいのでゆっくりと文章を書く余裕もなく,この書き出しで文章をはじめるのも随分と久し振りな気がします.ニートもどきの遊び人のように見えるかもしれませんけれど,僕も,一応は,博士課程の二年目の後半に突入した学生ですので,それなりには忙しいのです.……多分.

今回,久し振りにこっちのblog を更新しようと思ったのは,ここ以外でも色々な人が取り上げている,事業仕分けに関するアレヤコレヤについて,ちょっとだけ愚痴をこぼしたくなったからです.本当は,不特定多数の人が見られる環境で政治の話題を取り上げるのは好きではない(というか,ポリシーに反する)のですが,今回の政策と言うか,政治方針と言うか,無計画っぷりと言うか,が,僕のような立場の学生や年代的にもう少し上の研究者志望の研究員に「死ね」と言っているようなものなので,少しくらいの愚痴は大目に見てもらいたいと思います.

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13 日に行われた事業仕分けの略報(文部科学省のみ引用.引用元:http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009111301000870.html).


▽文部科学省

【理化学研究所(1)次世代スーパーコンピューティング技術の推進】世界最高速の計算性能を持つスパコンを神戸市に整備することを目指し、10年度は267億円を要求。仕分け人は「1位でなければ駄目なのか」「国民生活にどう役立つのかが分かりにくい」などと指摘。今年5月に一部メーカーが撤退しシステムを大幅に変更したことへの疑問や責任を問う意見が続出。「一度立ち止まって戦略を練り直すべきだ」との声が上がった。判定は「(予算計上の)限りなく見送りに近い削減」だった。

【理化学研究所(2)大型放射光施設SPring―8など】兵庫県内に設置された、強力な電磁波(放射光)を用いて物質の構造を詳しく解析できるSPring―8という施設の運転や維持管理に文科省が108億円を要求。「需要や相場を考え、精緻に費用分析するべきだ」「(施設を利用する)企業の売り上げに応じて費用負担を求めるなど(収益を上げる)努力を」との意見があり、判定は「3分の1以上の削減」。遺伝子を調べて植物の機能を活用する植物科学研究事業(要求額12億円)と、マウスなどの生命科学の研究材料を収集・提供するバイオリソース事業(同31億円)は、ともに「3分の1程度削減」を求めた。

【海洋研究開発機構】「深海地球ドリリング計画推進」(要求額107億円)は、地球深部探査船「ちきゅう」で東南海地震震源域の和歌山県沖・熊野灘の海底を約6千メートル掘り、巨大地震が起きる環境を調べる。仕分け人からは「国際共同研究なのに日本の負担が大きくないか」などの意見があり、判定は「予算要求の1割〜2割の削減」となった。地震や火山の原因に迫る観測などの「地球内部ダイナミクス研究」(同12億円)の判定は「少なくとも来年度の予算の計上は見送り」または「予算要求の半額削減」の両論併記。

【競争的資金(先端研究)】国などが課題を募り、審査で採択された研究に資金を配分する制度で、6事業で計1228億円を概算要求。財務省の査定担当者は「1人で10種類以上の資金を受けている研究者もいる」と指摘。「制度をシンプル化し、削減するべきだ」と判定。

【競争的資金(若手研究育成)】博士課程修了者らに経済的不安を感じさせず研究に専念させることなどを狙った特別研究員事業(要求170億円)は「雇用対策の色合いが強い」「民間に資金を出してもらえないか」との意見が相次ぎ、予算削減となった。若手研究者養成のための科学技術振興調整費(同125億円)と科学研究費補助金(同330億円)も削減との結論。

【競争的資金(外国人研究者招聘)】ノーベル賞級の学者から若手まで多くの外国人研究者を招き、人材育成や国際化を図る資金で、141億円を要求。「2週間程度しか滞在しない人もおり、研究(資金)ではなく交流資金でやるべきだ」などの意見が相次ぎ、削減と判定された。

【地域科学技術振興・産学官連携】地域の大学や産業界の特色を生かして科学技術を振興し、日本全体の研究のすそ野を広げる狙いで、数種類の事業やプログラムを用意。概算要求は総計268億円。仕分け人は「これまでも多額の国費を投入してきたが、地方に人、物、金はどれだけ増えたのか」「地方に自主的にしてもらった方がいいのではないか」などと述べた。判定は「廃止」。

【科学技術振興機構】理科支援員等配置事業は、子どもの理科離れを改善するため、小学5、6年生の一部授業に、研究者や大学院生などを理科支援員や特別講師として派遣。来年度に5500校分、22億円を要求したが、仕分け人は「すべての子どもに平等に機会が与えられるべきだ」「理科専門の教員を採用できるような抜本的な改革が先だ」などと指摘し「廃止」と判定。東京・お台場の「日本科学未来館」(要求額22億円)は、館長で元宇宙飛行士の毛利衛さんが来館者増などをアピール。仕分け人は、運営体制の整理を求め、判定は「削減」とした。


今回の事業仕分けによって,上記のような多くの基礎科学費が予算削減や予算自体の見送りという憂き目にあっています.有名どころを挙げていけば,スーパーコンピュータ関連,スプリング8 関連などが,大きく取り上げられた模様です.また,僕の関係するような分野だと,JAMSTEC の予算も大幅に削減するように指示が出ていました.

よく,日本は「科学技術立国」だのと言って,技術や科学が世界的に評価されている,という誤解が広く蔓延していますが,実際にはそんなことはありません(もちろん,過去にあった技術を発展,独自展開してきたものが多いのは認めるが,基礎科学の発展なくこれからの世界でそれだけでやっていけるわけがないし,そこすらもこれから削減されていくだろうと思う).もちろん,世界的に見れば,そもそも「科学技術」に大きな予算を割けるほど余裕がある国自体ほとんどないので,そういう意味では上位にあるのでしょうが,そんな比較に意味がないのは明白でしょう(先進国内では下位だし,発展途上国のいくつかにも抜かれているけどね).

日本の科学の現状は,「インド,中国,韓国に抜かれるのは時間の問題」というのがセンセーショナルで,いちばん妥当な評価だと思います(つーか,基礎科学はともかく,技術に関しては,とっくにインドに抜かれているかな?).特に中国は,ここ十数年の極端な経済成長以降,(少なくとも,僕が日常的に目にしている地球科学関連分野では)もの凄い勢いで論文を量産していて,しかも,その質は年々,もの凄い勢いで向上しています(ちゃんと数えたわけではないから確かな数字は示せないけれど,最近の主要国際誌の掲載数は日本人と中国人じゃ,ほとんど変わらないんじゃないかな,と感じるくらい).

これは,あくまで私見なんだけど,基本的に過去の日本の科学は突出した天才が発展させてきたものだと思うのです.つまり,全体的な質の向上が後押ししたものではなくて,単にその人だから到達できたという,発想とか頭の良さが左右する研究が多かったのであって,決して,国の科学レベル全体の高さの問題ではなかったように思います(ここ最近は,研究者層の厚さによってなし得た研究が出始めてきたと思いますが,研究費や若手研究者数の減少,若手科研費の削減でこの辺りも停滞するでしょうね).

戦後日本の一般的な大学史を見ると,「大学生がエリートだった時代(1945〜1960 年代)」,「大学の大衆化の時代(1960 年代末〜1980 年代)」,「全入時代の幕開けと大学院重点化時代(1990 年代後半〜)」とざっくり三つに区切れると思います.この変化の背景にある思想は簡単で,「競争の緩和」による「研究者(高等教育修了者)の裾野の拡大」が目的でした.つまり,「飛び抜けた研究者を少数育成する」形態から「凡庸な研究者を多数育成する」形態に乗り換えた,と言い換えてもいいでしょう(言い方は悪いけど,天才ではない学生や貧乏人でも熱意があれば研究者への道が開けた).そして,この転換は少なくとも,国家レベルで科学の質を向上させるためには,全く間違っていないと言えます.問題は,「全入時代の幕開けと大学院重点化時代(1980 年代後半〜)」の開始早々に,日本の経済が崩壊したことと,それ以降,長らく不況から脱出できなくなったことでしょう.また,それが直接の原因かどうかはともかく,増加した「研究者志望者」に対して「研究職」が一切増えなかったのも問題でした(その結果,高学歴ワーキングプアなんてものが発生した).

今回の政策以外の政策実行の様子をみても,少なくとも現政権に「先の政権の政策に対する仁義」は存在しないようですので,上記のような問題が発生したことにもなんの感慨も抱かないことでしょう.それどころか,上記の「高学歴ワーキングプア問題」に正のフィードバックを起こしたいとしか思えません.

結局,踊らされているのは(もちろん,自己責任な部分もあるとはいえ)コネも運もなかった研究者志望の若者なわけです.学部生時代には「国を挙げて君たちを研究者にしていく」といわれ,院生時代には「研究者の裾野を広げて,日本が科学立国としてやっていくために君たちの研究に対する情熱が必要だ」といわれ,ポスドク研究員になるころには「不景気の影響で想定外にポストが少なくて,野良博士が増えたけど,これから民間との連携とか頑張るから,院を出たあとも研究を続けてくれ」と頼まれ,無給の研究員になる頃に,急にどこかからやってきた新政権に「研究とかにかける金は無いから死ね」といわれるわけです.

別に(今回の件でよく見掛ける論調のように),仁義とか,情とか,そう言うものに訴える気はないですが,こんなやり方じゃ,誰も研究者なんて目指さなくなるぜ.……というか,金に不便のないボンボン(か,絶対的に競争に勝てる自信のある天才かバカ)以外は,研究自体をすることができなくなるでしょうね,本当に(例えば,研究室クラスでも全体予算に影響が出てくるから上に行かせる学生を絞らざるを得なくなると思います.昔は,そういう文化だったらしいですが,それをやめて「研究の裾野を広げるべき」として,ようやく最近になって,そういう選別をしなくてもよくなってきていたのに……).

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ここまで,ごちゃごちゃと現状に対する愚痴を書いてきましたが,端的に言うと,僕自身がひとつのポイントになると思います.

僕のスペックを簡単にまとめると……

・某上位国立大学の博士課程在籍(大学の移動経験はなし).
・学会発表は,修士以来,国内で年に1〜2 回程度.国外は未経験.
・いまのところ筆頭著者としての論文は邦文を一編投稿中.筆頭でない論文は国際誌数編.
・国際誌に投稿できるデータを抱え込んでるけど,英語が書けなくて四苦八苦中.
・来年度の学振(DC2)には落ちた(スコアを見ると主に業績不足のせい).

……という感じです.業績周辺が情けなすぎて,泣きたくなります……orz

多分,非常に凡庸な(地球科学科の)博士課程の学生程度のスペックだと思います.回りを見渡してみても,どう贔屓目に見ても突出はしていないし,おそらく,底辺というわけでもないようです.

そんな,僕が,今回の政治方針を目の当たりにして,本気で「研究者を目指すこと」をやめたくなるくらい心をボッキリ折られた,というのが,この問題の全てだと思います.だって,「研究者を目指す人間(の大部分)は,死ね」といわれているようなものですもの…….

僕レベルの人間はともかく,僕よりも明らかに先を走っている人たちが,今回の件の世情をみてボッキリと心を折られているくらいですから,本当に今後の日本の科学は衰退していく一方だと思いますよ,マジで.

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(追記)
この件に関しては,今後,情報が増え次第,書いていくと思います.

以下,感情的なものではなく,比較的冷静に分析している(しそうな)blog へのリンク(備忘).

http://d.hatena.ne.jp/oritako/20091113
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3457
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3465
http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3462
http://shinka3.exblog.jp/12947376/
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/142212/126445/60723063
http://d.hatena.ne.jp/kimura-gaku/

今回の仕分けの様子の音声ファイル.

http://d.hatena.ne.jp/riocampos/20091113
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2009年07月24日

3 年生の実習

こんばんわ.yulico です.

本日は,毎年恒例の3 年生の三笠実習でした(自分が学部3 年のときを含めて5 回目?).そして,昨年に比べ,参加者が増えていました.

実習自体は,今年度から遠洋性泥岩の例として見学地点に鹿島層の上部が加わった程度で,例年と大差なく,平穏に終わりました.

そして,毎年恒例の化石採集も昨年と違ってレアものは見つけられませんでした(学生の中にはかなりレアな化石を見つけた子もいましたが).

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個人的に,今回の実習で一番面白かったのは,桂沢湖の北西部の鹿島層上部のKY-6 の様子を確認できたことです.
posted by yulico at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

Y 氏からの質問,または,環境問題(笑)6

こんにちわ.yulico です.

先日,この記事某サイト様ネットストーキングされた際に,匿名希望のネットストーカー様より下記のような質問を頂きました.

質問の内容的に,このblog で再三扱ってきた内容なだけに「はやく答えなきゃなー」とは思っていたのですが,そんなに自分に余裕がなかったことと,問題が結構難しいこととで,延ばし延ばしになってしまっていたんですが,某サイト様が突如閉鎖してしまった!」という事態を受けて,責任を果たすという意味でも,記事を書く踏ん切りがつきましたので,某サイト様リニューアルオープンされたので,記念&お祝いに質問に答えさせて頂きます.

正直,こんな記事を書いて,舌の根も乾かぬうちに,「ニセ科学批判」ではないものの(以下で扱う「地球寒冷化」は必ずしも「ニセ科学」ではないし,僕自身は批判する気がない.逆に論理の欠落した "地球温暖化" は,ときにニセ科学になり得ることもある),それに類似した記事を書くというのもなんか気持ちが悪いのではありますが,あくまで「ニセ科学」を批判するのではなくて,検討に値すると考えられる情報を提示するのが目的であって,この記事をもってニセ科学を批判したり,こっちが科学的に正しい(笑)なんて主張をするつもりは毛頭ありません.当然,今回,僕が提供したような情報をもとにお読み下さったお客様が何を考えられるか,まで誘導する気なんてありません(責任持てないので).

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ちなみに,この記事は「環境問題(笑)6」に当たります.本シリーズの過去ログはこちら,または,下記リストからご覧下さい.今回は,下記の質問に対する回答がメインの記事ですので,まず,過去ログをじっくり読んでからお読み下さい.

「環境問題(笑)」
「環境問題(笑)2」
「環境問題(笑)3」
「環境問題(笑)4」
「環境問題(笑)5」

また,以下の文章はこのガイドラインに基づいて書いています.つまり,無尽蔵のバカは想定していません.仮に下記の質問に登場する A さんが日本語が通じないレベルのおバカさんだった場合は想定の範囲外ですので,ご了承下さい.

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Y さんから僕に寄せられた質問は下記のようなものでした.


 yulico さんこんばんは。匿名希望のYと申します。

 最近、友人A氏が「最近、地球が寒冷化してきている」と言い始めて困っています。「温暖化はマスコミによる風説の流布」「太陽の黒点の活動がどうのこうの」「地球は氷河期に突入している」とか言っているようですが、マイナスイオンとプラズマクラスターの区別もついていない様子。とりあえず、「あなたの信心深さが温暖化から地球を救った。さらに、ヨシミCDスペシャルエディションを1枚100万円で100セット買えばあなたは永遠の命を授かる」と言いましたが、買ってくれませんでした。

 どのようにすれば売りつけられるでしょうか…じゃなくて、えーと。

 どのように切り返せばいいのでしょうか。「地球寒冷化論者」に対する、ウィットに富んだうまい切り返し方を教えて下さい。


そんなの「地球温暖化は信じないのに,なんで寒冷化は信じるの?科学者は何も『信じて(believe)』はいないよ?」っていえばおしまいな気もしますが,それじゃあんまりにも不親切ですし,ウィットに富んでいるとも思えないので,以下に別な回答例を用意しましたので,長い記事なのですが,是非,ご一読下さい.

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<質問内容と A さんの主張への解説とサジェスチョン>

まず,最近、地球が寒冷化してきているという A 氏の主張ですが,少なくとも記録が残っている時代以降を議論の対象とするのであれば完全に誤りです.タイムスパンの取り方には様々な方法がありますが(例えば,1 年のスパンで見るのであれば,毎年,温暖化と寒冷化をくり返すし,1 日のスパンで見れば,毎日,温暖化と寒冷化をくり返すわけです),(根拠の有無はともかく)数十年〜百数十年程度のスパンで見れば,産業革命以降,年間平均気温は上昇し続けています.もう少し長いスパンで概観するのであれば,いわゆる万年雪が各地で融解しているという報告があり,現在(正確には1970 年代以降の30 年間)が,過去 10000 年で最も暖かい気候であったことが明らかになっています(1970 年代に行われた調査の際に過去 10000 年以上の記録を保持していた氷のサンプルが 1990 年代以降の調査では,温暖化に伴い融解したせいで記録が散逸してしまっていた,という報告があります.つまり,過去 10000 年間,その地域では氷が融けることなく積もり続けていたにも関わらず 1970 年代以降,その地域でも氷が融ける気温になった,ということを示します.因みに 10000 年より古い時代は,大雑把にいえば氷期なので,当然,もっと寒いです).これらは,観測事実ですので否定することはできません.

当然,タイムスパンの取り方次第でいくらでも恣意的に解釈できますし,上記のようなタイムスパンの取り方が恣意的なものかもしれません.しかし,少なくとも,よほど恣意的にデータを解釈しない限り,現在までに寒冷化が起こっている,という言い方をするのは難しいと思います.……というか,数値データを他人に納得させられるようにいじくってやるのが仕事のひとつである僕でも,難しすぎてそんな仕事はやりたくないです(多分,できないし).

次に,温暖化はマスコミによる風説の流布ということですが,これに関しては,サイエンティストの側からは何もいうことはありません.だって,マスコミさんが何を言っているのかなんてサイエンスとは関係ないですもの.でも,サイエンティストの言っていることにはそれなりの根拠があるので,ちゃんと読んでから自分なりに判断してくださいね.

更に,太陽の黒点の活動がどうのこうのという A さんの主張ですが,現在,太陽の黒点が無くなって(少なくなって?),太陽からの入射が減少している(黒点活動が活発な時期が一番太陽の放射量が多いので,黒点が少なくなると地球への入射量が減る計算になる→寒くなる),ということを指しているのだと思います.

こういうシステムは,いわゆるニセ科学批判をする人たち(笑)に,「ニセ科学(笑)」として取り上げられることが多いのですが,実は,非常に重要なシステムです.なぜなら,地球の気温を作るメカニズムの中で,太陽からの入射量は非常に大きなウェイトを占めているからです(「環境問題(笑)」に詳しく書いていたはずです).

例えば,過去に小氷期(Little Ice Age)というイベントがあり,その際の気温低下(あとでもうちょっと解説しますが,正確には「地球寒冷化」ではないので敢えてこう書きます)の原因のひとつとして「太陽黒点の減少の影響である」というのは有力な仮説です.

因みに,小氷期というのは「中世の温暖期(西暦 1000 年〜1300 年くらい)のあと,1300 年〜1800 年代初頭までの期間中の,気温低下が1℃未満に留まる,北半球における弱冷期」のことです.昔(十数年前くらい)は,もうちょっと広範囲に及ぶイベントで,もうちょっと冷え込んでいたと考えられていたようですが,現在では,北半球高緯度地域で顕著に認められる(つまり汎世界的ではない)「ちょっとした冷え込み」と解釈されています(小氷期は「テムズ川が凍っていた!」などのセンセーショナルな物言いで語られるため,誤解されていることが多いイベントです.しかし,冷静に考えれば,そもそもロンドンは北緯 51° に位置します.地理的なセッティングが全く違うので単純な比較は危険ですが,これはサハリンと同程度の緯度です.基本的に,高緯度ほど季節変化が激しく,全球的な気候変動の影響を受け易いので,ちょっと冷えれば,冬に川が凍る程度のことはあっても驚きません).

先程も述べた通り,この小氷期を引き起こした無数の原因のひとつであり,主因の候補と考えられているのがマウンダー極小期と呼ばれる「太陽黒点が極端に少なくなっていたために,地球への入射量が減少していた時期」の存在です.つまり,過去にも太陽黒点が減少していた時期が実際にあり,その時期に気温低下が起こっていたことが確実に分かっています(多分,「マウンダー期が原因のひとつである」という仮説はそう簡単に覆らないと思います).そういう意味では,太陽黒点の減少は寒冷化の原因になりえます.しかし,小氷期に関する研究の多くで,「太陽黒点の減少だけでは,小氷期の気温低下のすべてを説明するのは難しいので,その他の要素も伴った複合的な気温低下イベントである」とされています.また,気候モデルの上でも太陽黒点の減少程度で十分に地球を冷やすのは難しいようです.そんなわけで,小氷期に関しては,例えば,太陽黒点の減少の他にも,複合的な原因のひとつとして火山噴火の頻発による成層圏でのエアロゾルの増加,などが挙げられています.

この辺りの太陽活動の影響による地球環境の変動にまつわるお話は,面白いのですが(学問的にも政治的にも)難しくて,容易に扱えるものではありません(ので,ここではこの程度で抑えておきます).以前,丸山先生の主張で有名な「宇宙線ー雲発生による寒冷化の話」をトピックとして扱ったので,今度,「太陽黒点と小氷期」というトピックでちゃんと記事を書こうと思いますので,ご期待下さい.

そして最後に,地球は氷河期に突入しているという A さんのお言葉に対してです.

(初学者というか素人に学者の卵が大人げなく無遠慮に突っ込むのであれば)氷河期に突入しているも何も,少なくとも中新世の中期以降,かれこれ 1000 万年以上前から現在に渡ってずーっと氷河期です.もっというと,確実なデータはないですが,おそらく 3000 万年前の始新世/漸新世境界の寒冷化イベント(Oi1)以降,ほとんどの時代は氷河期になるはずです.なぜなら氷河期という語は,「地球に氷河(氷床)が存在する時代」と定義されているからです.現在は,グリーンランドと南極に巨大な氷床がありますので,氷河期に当たります.

(初学者に優しく接するのであれば)氷河期という語を誤用しているのであろうと推察できますので,この言葉は,地球は氷期に突入していると読み替えるべきでしょう.因みに氷期とは,「氷河期の中で特に寒かった時代」を示します(逆に暖かかった時代を間氷期と言い,現在は間氷期であるといわれています.これらの氷期ー間氷期という語は同位体比の変動に基づいて明確に定義されています).

で,読み替えた地球は氷期に突入しているという A さんの主張に対してですが,氷期なのか間氷期なのか,ということは終わってみないと分からないので(あくまで同位体比に基づいて定義されるので),原理的に分かりません

ただし,少なくとも第四紀以降(およそ 260 万年前〜現在)の氷期ー間氷期変動は,地球の軌道要素(Orbital Forcing:通称,ミランコビッチサイクル)に強く影響されています(正確に言うとそれ以前もずっとそうなんだけど,第四紀以降が特に有名なので).中でも,ここ最近の 100 万年間(MIS 11 以降)は,10 万年くらいの周期が卓越していることが分かっています(地球の公転軌道の離心率の変動が 10 万年の周期を示します).現在は,前の氷期で一番寒かった時期であるLGM(Last Glacial Maximum: 最終氷期最盛期)から高々 20000 年しか経っていないので,10 万年周期が継続していると考えるのであれば,むしろ温暖化が進行している時期に相当するはずで,氷期に突入している時期に相当するとは考え難いです.仮に,前回の氷期(最終氷期)から現在の間氷期の間に,なんらかの原因で,地球の軌道要素の中でも一番周期が短い,最差運動の周期(約 20000 年周期)が急に卓越しはじめたとするのであれば「現在の地球は氷期に向かっている時期に相当する」と,無理矢理いえなくはないですが,地球の軌道要素は天文学的に単純に計算できるので,そういう可能性はほぼゼロであることが分かっています(……というか,現在の軌道要素の計算が狂うためには,外部から軌道要素を変えるような力を与える必要があります [ex. 月ができたときくらいの超巨大隕石の衝突].そして,そんなことがあったら温暖化していようがしていまいが,間違いなく生命圏が崩壊しているので,どうでもいいです).

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……と,このように A さんには,基本的な(悪く言えば常識的な)基礎データに関する知識の欠如が認められます(本当に知らないのか,見なかったことにしているのかは分かりません).基礎データの解釈の仕方は各個人の勝手ではありますが,正規の手続きをへて得られている基礎データ自体を見ないことにするのはサイエンティフィックな態度とはいえません.すべてのデータを考慮していて,それらの多くを大部分に渡って整合的に説明することができ,かつ,棄却したデータに対してその根拠を示すことができるのであれば,「今後,地球が寒冷化する」と主張するのは自由ですが,そうでないのであれば,その主張はサイエンスとは言い難いと僕は思います(「今後,地球が温暖化する」という主張も同じです.).

A さんは,どこかで聞いた「寒冷化の話」を,宗教的に信奉しているという状況にあるように思えます.つまり,科学に対する態度を根本的に勘違いしていると言わざるを得ません.

科学は信じるものではありません

こことかこことかこことかここでもこれまで散々論評したことの蒸し返しになるのだけれど,科学に対して人の取り得る態度は論理展開を追試することのみであって,それ以上でも,それ以下でもありません.そして,その論理展開に欠落がなく,今のところ反証が挙げられていないのであれば棄却することはできません(ここは勘違いしないでね.信じるのではなくて,棄却することができないだけだからね).

某丸山先生の著書の中に,2008 年の日本地球惑星科学連合大会における「地球温暖化 V.S. 地球寒冷化(正式名は『21 世紀は温暖化なのか,寒冷化なのか?』だったと思う)」のセッションで,挙手調査において多くのサイエンティストが今後の地球環境の変化に対して「温暖化」でも「寒冷化」でもなく,「わからない」と答えた,という下りがあります.このような結果になるのは,そもそも科学者にとって仮説というものは「支持する or 支持しない」で判断するものではないからです(言ってしまえば,この挙手調査の際に「わからない」以外の選択肢に挙手をした人は,なにか科学とは無関係な政治的な意図があるということです.または,ただのばk……あれ,こんな夜遅くにチャイムが……?誰だろう?).

……少し話が逸れましたが,つまり,A さんに対する回答というのは「宗教の熱心な信者に対して何をいえば良いのか?」という問題と等価です.僕個人は A さんがそれで幸せならば別に何かを知らせる必要も,回答する必要もないと思います.日本は信教の自由が保証されている国ですからね.

しかし,僕も創価学会員の折伏で苦労した経験がありますので,質問者の Y さんの苦労が偲ばれます.そこで,A さんに対するウィットに富んだ回答の例をいくつか考えてみました.

「あー,それ知ってる!このあいだテレビのドキュメンタリーでやってたよね!(『テレビで茂木健一郎が言ってた!』も可)」

「うん.昨日も昼は暖かかったのに,夜は涼しかったよね.多分,今日もじゃないかな?」または「うん,うん.9 月を過ぎるとやっぱり気温も落ち着くよねー」または「何言ってんの?これから夏になるんだぜ?」

「二酸化炭素を増やして温暖化を促進させるために,電気(火力発電)を無駄遣いするべきだよ!そのために,ヨシミCD を沢山購入して無限ループで垂れ流すっていうのは Do-Dai ?」(販促 ver.)

「だからそんなに興奮してるのか!(←体温で空気を暖める的な意味で)」

「(ソースの論文を)zip でクレ」

「寒冷化するならエコに余分なエネルギーを使って,無駄に二酸化炭素を出している日本の現状は素晴らしいじゃない.政府もそれを見越してやっているんじゃないの?それのどこに文句があるの?」

「なんでそんなに unique な考察があるのに論文書かないの?」

「(真顔で)な,なんだってー!!」または「A さん,マジ,っっっ(溜め)っっっパネぇっすね!」

「俺は温暖化でおにゃのこの服装が開放的になった方がいいなー」



……以上,順不同です.いかがでしょう?ひとつくらいお気に召す回答例があったなら幸いです.

※別にこの記事を紹介してもらっても全然構いませんけれどね.ただ,僕は,日本語の通じない相手にはとことん冷たいですが.

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こんなの(ニコニコのアカウントをお持ちの方のみ)を聞きながら勢いで長文を書き上げたので,ミスをみつけ次第,ちょこちょこ修正入れると思います.

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15:30 6/25 一部文章を修正.
posted by yulico at 01:36| Comment(1) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

書こうと思ったけど

おはようございます.yulico です.

以前執筆予告していたものの中で,まだ書いていないのが下記の2 項目です.

・北大博物館関連のアレコレ
・疑似科学と疑似科学批判について

……このうち,上の方についてはいずれまとめるつもりですが,下の方については同僚から「あの辺は危ないから手を出さない方がいいよ」という助言を得て,書くのをやめました.だって,炎上させられたくないんですもの(まぁ,こんな普段からコメントもつかないブログが炎上するとも思えないのではありますが,その周辺にいる人たちからブックマークされている記事がいくつかあるので,燃えないとも限らないし,わざわざ燃料を投下する必要もないだろうと思うので).

この記事日記 [http://d.hatena.ne.jp/sonickhedge/] 中の記事「血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ」)やこの記事日記 [http://d.hatena.ne.jp/sonickhedge/] 中の記事「血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ【蛇足】」)やこの記事日記 [http://d.hatena.ne.jp/sonickhedge/] 中の記事「ニセ科学がなぜなくならないか」)が炎上するって言うんだから,怖いよね.これと同じではないけど,ほぼ同一線上の論旨で「疑似科学批判」批判をしようとしてたよ…….あと,この記事BLOG15.NET [http://www.blog15.net/] 中の記事「疑似科学批判がややこしい訳」)とか(面倒くさいからわざわざリンク貼らないけど,この記事の中で引用されている記事やその更に追記先の記事)も比較的僕と近い意見な気がする.

どうやら,疑似科学系論客の周辺に,(上で挙げた以外にもたくさん)ちゃんと比較的真っ当な見方ができる人がいて,真っ当な批判を表明してきた経緯があるらしいこと,その一方で,そういう意見(「疑似科学批判」批判)は異端として黙殺されて(または,日本語がわからないから理解されず),トンデモ疑似科学批判が蔓延っている現状に至っているらしいということ,などは,同僚のガイドでいくつかのサイトを巡って把握できました.よって,今更,僕が拙い日本語を弄して何か意見を述べたところで無意味らしい,という結論に至りました.

しかし,まぁ,ただ単にこの議論からトンズラするのも性に合わないので,僕の「疑似科学批判」に対する意見の要点だけでも書いておきます(つーか,挙げる直前の推敲段階までは記事できてたのよね……).

1. 疑似科学はネタとして笑うか,某菊地先生が「視点・論点」で批判されておられたような筋違いの利用(ex. 道徳と結びつけるなど)が顕著に実社会に影響する場合以外批判すべきではない(そして,他者を批判する前に,社会は地下鉄サリン事件を起こすまでオウム真理教を野放しにする程度まで,危険を感知しないということを肝に命じておくべき).

2. 批判のための「否定」には科学的な背景がないことが少なくない(ex. 先に挙げた血液型占いなどの記事参照).それじゃ,本末転倒.

3. 科学は「悪霊がさまよう闇の世界を照らすろうそくの光」でしかない.

4. 「真実はいつもひとつ」だけど,江戸川コナン先生以外は,そこに辿り着く術を持たない.

……これで燃えるなら燃えればいいさ〜♪(相手をする予定はない)
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2009年05月31日

作文

こんにちわ.yulico です.

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ここ最近(半年くらい?),ほとんどの時間を自分の成果のまとめ作業に費やしているのですが,現在,暗礁に乗り上げ中です.自分のデータが不十分であるとか,議論が不十分であるとかではなく,主に作文の問題で…….

昨年度末まで平行してまとめていた日本語の論文を書いているときには,かれこれ20 年以上も使い続けてきた「日本語」を使って書いていたので,そう言う部分では,そこまで苦しむことはなかったのですが(それでも師匠にけちょんけちょんにされたけどw),現在進行中の英語での論文となると,その部分の難度が桁違いです.

僕自身は,そこまで英語が苦手なわけではなく(多分,教科書的な英語なら平均以上にできると思う),文章をひねり出すこと自体にはそこまで不自由はしないのですが,それが十分に論文らしい文章にはなりきっていない,と言うことです.実際,先程言及した邦文の論文を書いているときも,持っていった英語要旨を,師匠に「根本的に論文英語じゃないし,言いたいことが不明瞭」とバッサリやられたわけで…….

この辺について,(表現自体は勉強次第なので,特に言いたいことが言い切れていない点は)自覚がないわけではないので,僕自身,ちゃんと他人の論文を読んで,パクれる表現をパクったり,師匠から勧められたこんな本を買って勉強をしたりしているのですが,どうも上手くいきません.そもそも,往々にして,他人の文章と言うのは,そうそう汎用性が高いものではなく,結局,自分のオリジナルな思想は自分のオリジナルな文章を用いないと表現不能なわけでして…….

そんなこんなで,格闘しながら,なんとか,自分で文章をこさえてみはするものの,これまで散々英語論文を読み続けてきた分,下手に読解力はあるので,自分の書いた文章を寝かせてから読み返しては鬱になっています.

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文章(=アウトプット)というものは「事実の記載」では有り得ません.基本的に人間が外部から得た何かを自分の脳内で解釈した結果の記載です(実際に「書く」「話す」などのアウトプットを伴う,伴わないに関わらず,です).その解釈という作業を「考える」という風に言い換えても良いでしょう.

そして,(これは僕の個人的な考え方ですが)おそらく,論文における文章は,アウトプットする機能を記載することにあるのではないかと思います.要は,「論文における文章」は「文章(=アウトプット)」を生成する過程の記載のアウトプットである,と言えるのではないかと思います(凄くメタな物言いで分かり辛いのは重々承知していますが,自分の実感としては,実際に結果を目にしたらしい「論文考察者」という第三者の脳内の作業を,何も知らない「僕(=執筆者)」が記載する作業なのではないか,と思っている,ということです).

作文が,そういう記載であるのであれば,単純に記載を行えばいいわけですが,ここで問題なのは「考察者」である僕自身が日本語の体系の中で,しかも自分にしか分からない「テクニック(=ブラックボックス)」を使っているということです(考察における論理性の欠如という意味ではなく,主に自分の言語化能力の不足で,言語化できない闇が存在しているという意味です).これが如何ともしがたい…….

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多分,解決方法は,もっと勉強して自分の言語化能力を向上させるか,自分とよく似たブラックボックスを持っている人間の書いた文章をパクるか,の2つしかないです.

そんなわけで,面倒くさがりの僕は,安易に後者の解決方法を選んで他人の論文の文章を「パクリ」目的で漁っているわけですが,どうにもこうにも,なかなか使える「パクリネタ」が出てこないものです.自分の考えていることが,そんなにオリジナリティー溢れるものであるわけがありませんが,そうそう似通った考え方が溢れているほど没個性でもないということなのでしょう…….

ちゃんと英語の勉強しないといけないなぁ…….
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2009年04月24日

隠しごと

こんばんわ.yulico です.いま大フィーヴァーな彼のニュースはスルーして,少し古いニュースを取り上げてみます.

先日,海外のニュースで,元宇宙飛行士のおじさんが「NASA は宇宙人と接触している.そして,そのことを隠蔽している(要約)」という妄言を吐いたことを言った,ということが,宇宙飛行士の地元(どうも,かの有名なロズウェルの近くらしい)で話題になっている,というものを目にしました.これが結構大事になっているらしくて,わざわざNASA が「そんなことは有り得ない」という声明まで出したとか,出していないとか…….

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元のニュース記事はこちらhttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114411&servcode=300§code=330).

どうせ記事自体は,すぐ流れるので以下引用.


宇宙には人類だけではなく地球外生命体が存在するという主張が米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士から出された.

CNN は21 日、アポロ14 号に乗り1971 年に月探査隊の一員として参加したエドガー・ミッチェルさんが、「宇宙には人類だけが住んでいるのではなく,地球外生命体も存在するが,米国と他の国の政府はこれを隠している」と主張したと伝えた.

地球外生命体の可能性を研究する未確認飛行物体(UFO)支持者と研究者らはの集まりである第5回X 学術会議の閉幕後,ナショナルプレスクラブで行われた記者会見でミッチェルさんは,「実際にわれわれが宇宙で一人ではないという証拠を持っている」と述べた.

ニューメキシコ州ロズウェル出身のミッチェルさんは,「1947 年にロズウェルで起きたUFO 墜落事件が実際にあったことで,当時ロズウェルの住民は軍当局から見聞きしたことを話せば恐ろしい結果を招くと警告を受けている」と証言した.

このほか,「住民は宇宙飛行士になった同郷出身の自分にUFO 墜落事件の真相を伝え,10 年前に統合参謀本部の司令官がこれを確認した」と述べた.ただしこの司令官はいまではUFO 墜落を否定しているという.

これについてNASA 報道官は,「われわれはUFO を追跡していない.地球や他の星の地球外生命体について隠し事はしていない」とミッチェルさんの主張を一蹴した.


このニュースに関連した,2ch スレッドのまとめ記事はこちらA6news: http://blog.livedoor.jp/a6news/archives/614626.html).

※因みに,この宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルというおっさんは,電波系の発言をくり返していることで有名なおっさんです.オカルティックな番組とかで「実際,宇宙に行って人間性が変わって,神秘体験(異星人との接触体験)を口にしている宇宙飛行士もいる!」なんていう風にあげられるのは大体このおっさんのエピソードだと思って差し支えありません.

まぁ,アポロ計画も後半になってくると,事故を起こして負の意味で注目された13 号はともかく,14 号なんてほとんど注目されなかっただろうし,地球に帰ってきたら宇宙飛行士という肩書きだけのついただけの,ただのサイエンティストでして,大して注目されることもなかったのでしょう…….そんな末路をたどったということを考えると,いろいろ黒い想像ができますが……,その辺は,宇宙開発に貢献した,という大きな業績に敬意を表して触れるのはよします.

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この件の裏にどういう意図があったのかとか,この件の真相(宇宙人の存在の有無とか)がどうであったのかとかには全く興味がないので,どうでもいいのですが,一点,気になるのは「○○は●●を隠蔽している」という言説の発生する背景です.

これは,多くの陰謀論(地球温暖化懐疑論でもよく出てくるよね)でよく出てくる言説ですが,果たして,本当に「○○は●●を隠蔽している」なんていうことは起こりうるのか?……というのが,今回の本題です.

閑話休題.

カール・セーガンは「科学と悪霊を語る」の中で,タクシーの運転手から「NASA は,地球外知的生命体の存在を隠蔽している」という話を延々と聞かされてうんざりしたあげく,自分はNASA の科学顧問で,「そんなことは有り得ないし,聞いたこともない」と説明した,というエピソードを紹介していました.

これは,ただの一例に過ぎませんが,少なくとも当代一流のサイエンティストがうんざりして自著にそんなエピソードを紹介してしまう程度には,「陰謀論」や「○○は●●を隠蔽している」式の論法は一般化しているようです.おそらく,いま,これを読んでいる人の多くも,こういうたぐいの話を聞いたことがあるでしょう.かくいう僕自身,そういう言説に触れたことがうんざりするほどあります.まぁ,昔は,そういう偽史とか偽科学のマニアだったのであんまり偉そうなことは言えませんが(誤解されると困るので敢えて言いますが,"偽" 史とか "偽" 科学と解った上で,そういう話を蒐集するのが好きだった,という意味ですよ.でも,「と学会」のように,ネタ的に扱うわけではなくて,ただ個人的に蒐集した話を楽しんでいたわけです.因みに最近は,偽史,偽科学を蒐集するような趣味はなくなりましたが,真っ当な科学史関連は未だに好きです.戦前の日本の学術誌とか最高!).

しかし,冷静に考えて,サイエンティスト(に限らず,どんな学問であれ研究している人間)が何かを隠匿することに意味があるのでしょうか?(少なくとも,僕には意味がないように思います)

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そもそも,「隠す」という行動に意味を持たせるためには,隠す意味や目的がないといけません.しかし,学問を行う上で,それが存在するのは非常に稀な状況です.

データがあるのに,それを隠すと言うシチュエーションで,簡単に考えつくのは下記の状況くらいでしょうか?

まだ,ちゃんとした形式で発表していない(論文を書いていない)のでアイディアを盗まれたくない
データは揃っているが,発表するにはまだ論理に不備がある
特許を取る予定がある

これ以外には,少なくとも僕には考えつきません.あったとしても,上記のバリエイションだと思います.

よく陰謀論や「○○は●●を隠蔽している」式の論法で,軍事利用云々と結びつけたりすることがありますが,それによって何かが隠匿されるなんていうことは,絶対に有り得ません(兵器開発中の部品の細かい設計とかは上記の1番目,3番目にあたるので別です).なぜなら,応用が理論に先立つことは有り得ないからです(そもそも存在しない理屈じゃ兵器は作れないし,その理屈を研究している過程では,それが兵器利用に転じるなんてことは,まず考えつかない.関連:「妄想は実証に先立たない」).

(※軍事転用にまつわる「隠匿」の話とかになると,「マンハッタン計画」とか,その辺で行われた学者の秘密会議的なものを例に挙げられるんだけれど,そう言う人たちは,原子力爆弾の設計に必要な基本的な理屈が,その何年前に論文化されていると思っているんだろう?因みに,雪の結晶の研究で有名なかの中谷宇吉郎先生は,昭和 12 年に発表した短評中で既に「原子力の兵器利用への転用の危険性」に警鐘をならしていたりします.まぁ,中谷先生は,特別に先見性に優れていたのかもしれませんが,各国で同時多発的に軍事転用の研究がはじまった辺りのことを考えても,応用が理論に先立つことは有り得ない,ということは解っていただけると思います)

大体,研究者は,言わないでいいことを言うことはあっても(いつ起こるかも分からない「東海大地震」への警鐘とかね),自分の完璧なデータを発表しない,なんてことはまず有り得ないです.

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本当は,ここで「はい.論証おわり」と言っても良いのですが,サイエンティストに近い立場から,しかも web という媒体で,天下り式にこんなことを言っても,なんの意味もないことはよく解っているつもりなので,もう少しだけ,話を進めていきましょう.

逆に,なんで多くの陰謀論者にとって研究者が「隠匿する人」になるのか,ということを考えてみると別な問題も見えてきます.

ある情報の受信者が「研究者がなにかを隠している」と判断するのは,その受信者が(研究者からではない)どこかで入手した「情報 A」と,多くの研究者の発信した「情報 B」との間に本質的な差異があるときです.そして,受信者が「情報 A」を選択した場合に限り,ありもしない研究者による「情報 A の隠匿」が発生します(あくまで「情報 A」が,到底,研究者には受け入れられない非論理的なものであると仮定しています).このような現象が生じるのは,研究者と受信者の間に,情報の処理方法,受信方法についての乖離があることを示します.



今は,高度情報化社会が進行したことで,身の回りには有象無象,玉石混合の情報が溢れています.情報は,それ自体は,本来,すべてが等価なものです(もちろん,厳密に言えば受信者のもとに届く情報の大部分は,生情報ではなく,すでに何らかの選別を受けていることが多いため,多少の価値の違いは生じます).つまり,情報の取捨は,本来,受信者が自分の論理で行うべきであり,全受信者にはその義務が課せられています(嘘を嘘と〜,っていうことです,結局).

受信者に論理を身につけさせる,云々,という話になってくると議論が「教育論」にまで落ちていかなければならないので,ここでは,そこまで話を進めませんが,情報の発信者が論理的であることは当然必要ですが,それ以前の問題として,情報の受信者も情報を判断する義務を負うべきである,ということを主張させていただきたい.

どちらかというと,今後,発信する機会の増える身として,はっきり言っておきたいのは「理解できないこと」や「解らないこと」の責任は,本質的に発信者にはないということです.

当然,発信する人間は,解りやすく発信することを心がける義務はありますが,それは,論理の有無以上の判断や制約を受けません(論理がないのはアウト,論理さえあればおk ということ.実際,それができていない発信者 [not 研究者] が多いというのも問題なのですが……).まぁ,通常(もちろん例外はいっぱいあるけれど),研究者が発信する情報に論理の欠落があることは稀なので,やはり,受け手に大きな責任があると言えます.

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なんでこんなことを滔々と述べているのか,というと,こういう現象の影響が,現実に,研究を阻害しはじめているからです.つまり,研究者と普通の人の間の距離が乖離することによって,社会から研究が疎外されはじめる可能性があり,それが現実に起こりつつある,ということです.特に日本は元々基礎科学研究にお金を分配しないことに定評がありますが,それが最近加速している,と言われるのは,普通の人と研究している人間との間の認識の乖離があげられています.

そんなことやってたら,本当に日本の科学は終わりますよ?

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なんか,話が「隠匿」や「陰謀論」から大分外れてきましたが,結局,それらの本質は,自分が与えられた情報を理解できないことの責任を「何か」に押し付けているだけなんだよね…….それが,神様になればそれは宗教になるわけだし……,その辺はすべて根が一緒なのです(宗教や神で自分が納得できるのであれば,その人の信じる宗教を否定する気はありませんよ.ただ,僕とは宗旨が違うというだけで……).

この辺りの話については,いずれ書きたいことは色々とあるのですけれど(「好き嫌い」とか「科学はオカルトを否定することで世界をつまらなくするのか?」とか「理系と文系(非研究者)の話」とか「論理のための初等教育の話」とか……),ここまででも,もの凄く文章が長くなってきているので,この辺で終わらせておきます.
posted by yulico at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

予定は未定

こことかこことかこことかこことかここで,長々と公開ディスカッション的なことまでして,扱ってきた「かたち」についてですが,取り敢えず,今のところ,同僚とのやりとりは(内々に)一段落ついたのでいずれまとめる予定(は未定).

因みに,まとめるときにはここには書かないので(注),できたら報告します(って言っても,このネタを,普段ここを読んでいる人の中でどのくらいの人がフォローしているのか分からないけれど……).

のちの細かいこととかは同僚の滴らせている脳汁のほうを参照して下さい.僕の方も多少は脳汁こぼすかも知れないけれど.

あと,同僚からの前エントリに対するフォローは,いまのところこちらこちら

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注:何度か書いているけれど,ここはweb 上にいるyulico という架空の存在の脳であって,情報を恣意的に記録したりリンクさせたりはするけれど,最終的なアウトプットの場ではないので.
posted by yulico at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

暴投に返信きた

……というわけで,暴投に返答が来たので肝だけ引用.

詳しく(……というか,なんで定義の話になるのか)は,

http://oanus.blogspot.com/2009/03/functional-morphology.html
http://oanus.blogspot.com/2009/03/blog-post_5270.html
http://oanus.blogspot.com/2009/03/blog-post_9344.html
http://oanus.blogspot.com/2009/03/2009-03-17t1446-2009-03-16t0010.html

辺りで察して.

んで,肝の部分(http://oanus.blogspot.com/2009/03/morphism-function-morphology-motion.html).

機能は何か,形態とは何か,という問いに関するものすごく大雑把な私的定義.適当なブラックボックスとその外界 (環世界ではなく環境) を設定し,このブラックボックスが存在するが故に生じる外界の変化を考える.このとき,外界の始状態と終状態とを結ぶ射 (morphism) を機能 (function) とよぶ.機能は参照透過とは限らず,実はブラックボックスには内部状態があって,外界の状態の変化に伴って内部状態も変化するものとして扱うほうが都合がよい.形態 (morphology) はその内部状態量の一つであり,その射を運動 (motion) とよぶ.心とか自由意志とか生気とかクオリアといった数々は,こういった内部状態量とその射のうち物理量として表現できていなために議論の対象にしえない (つまり使い物にならないゴミみたいな) 諸概念,という認識.目下の疑問は,機能に恒等射を想定してよいか,という点.


以下,コメント(コ).

> 適当なブラックボックスとその外界 (環世界ではなく環境) を設定し,このブラックボックスが存在するが故に生じる外界の変化を考える.このとき,外界の始状態と終状態とを結ぶ射 (morphism) を機能 (function) とよぶ.

コ:圏論なんて知らんって言う人は別にトポロジーの連続関数を想定してもいいし,もっとゆるーく言い換えれば,始状態A が終状態B になったことを「A→B」と表したときの「→」のことね.妥当だと思う.

> 機能は参照透過とは限らず,実はブラックボックスには内部状態があって,外界の状態の変化に伴って内部状態も変化するものとして扱うほうが都合がよい.

コ:単純な疑問だけど,こうやって階層を分ける必要があったのかしら?別に一旦ブラックボックスを想定するまでもない気がする.分かりやすくはなるかも知れないけど,逆に分かりにくくなるんじゃね?(←って,この文章がわけ分かんないよ!)

……要は,

形態 (morphology) はその内部状態量の一つであり,その射を運動 (motion) とよぶ

……という言い方をしているんだけど,運動を内部状態量の射にする必要があるのかなぁ,という疑問.

(以下,僕が個人的に定義する必要がないと思う場合&oanus たんの文脈での定義とは異なる場合,「」付きで書くYO!)「機能」と「運動」をそれぞれ別個に定義するのは,もともと機能形態的な意味で定義なんてない「機能」とか「運動」とかいう2つの言葉がありきなんじゃね?

つまり,あくまで生物が起こす物理現象である限り,観測者からは「機能」と「運動」って本質的に見分けがつかないんでない?……ということ.というか,「機能」の関数って運動の関数と等しくないか?(ドツボ……だが,これ以上頭を働かせはしないぜw 本職じゃないからなw)

> 目下の疑問は,機能に恒等射を想定してよいか,という点.

コ:機能は結局のところ,物理的な現象でしかないわけだから,観測者を考えなければならないけど,観測者を想定した場合,あくまで観測者が機能を観測できるかどうかでしか判断できない(または,実際には判断できるけど,判断するための観察をしていないしする必要がない)のであれば恒等射も想定できると思われる.

……というか,議論の構造をフラクタルにしないつもりなら,想定しておかないとならないんじゃね?逆にどんどん内側に自己相似な概念を内包させていくと結局定義が揺らぐぜよ.

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ノー足りんな口調なのは暴投したのに真面目に書かれちゃって立場がないからなんだぜ!

真面目な話,外界とブラックボックスとその内部構造という図式は,盲点だったので投げておいて良かった.

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追記記事
「予定は未定」
posted by yulico at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

機能形態屋はかたちを見ない

こんにちわ.yulico です.

最近好んで書いている話題に「形を見ること」があります.これとかこれです.そんなで,「機能形態学」に関して話題を振っておきながら同僚に丸投げしていたのですが,それも酷い話だと思うので少しだけ私見を述べさせてもらおうかなー,と思います.……とはいえ,機能形態に関してはド素人に毛が生えただけの身,かつ.あんまり興味がないので,僕の言うことをあんまり鵜呑みにしない方が良いと思います.

あと,機能形態学と言うと,通常は現生の生き物を対象とする分子生物学に適用する用語ですが(レセプターのタンパクの形状がどうのこうの,とか),ここで扱うのは古生物学における,もっとゆるーい意味での「機能形態」の話です.基本的な概念はあんまり変わりませんが,厳密な意味で機能と形態の議論をしている生物屋さんにはちゃんちゃら可笑しい話にしかならないと思うので,言い訳として書いておきます.

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結構多くの人が勘違いをしているのは「機能と形態に相関がある」という言葉だと思います.

語弊を恐れずに言うのであれば,機能と形態には相関はありません

「機能と形態に相関がある」という言葉を,正確に言い換えると「特定の機能に必要な器官は物理的なパラメータを考慮すると特定の形態に収斂することもある(し,しないこともある)」という風になるでしょうか?「物理的な諸パラメータに形態は制約される(し,淘汰圧を受けて自然選択を被る)」と言い換えても良いと思います.

古生物学屋というか(古生物の)機能形態屋がよく例に出すのは,遊泳体の進化における形態の収斂の話でしょうか.要は,魚類だろうが,鯨だろうが,魚竜だろうが,海トカゲだろうが,(ある程度)高速で遊泳するものは体の外形が流線型になっている,という例です.

我々は,このように,魚類,ほ乳類,爬虫類……と系統的に異なる背景を持っている生き物が,同様の生物学的地位にいるとき似たような形態を獲得した,という現象を指して「収斂した」と言います.そして,その収斂が遊泳に適応した結果である,と解釈するわけです.つまり,水中で泳ぐ生活と言う「生物学的地位」に至り,流線型という「形態」を獲得したことは「収斂した」ということです.

では,何故収斂したのか?

この疑問に対して機能形態屋は「(一般的に)遊泳時に抵抗を受けにくい形態が自然選択された」と回答するでしょう.

……という解説を聞いて「なるほどー」とへぇボタン(または加虐趣味的傾向をお持ちでかつ二次元に抵抗のないお客様はこちらでしょうか?)を押されると,実は困るのです(表現が古いのは仕様です.だって,これが流行ってた頃くらいまでしかテレビを見てないんだもん).

こういう説明をしたがるくせに,実際の機能形態屋が考えていることは,こうではありません.

「実際に,化石の形がどうであれ流線型は物理的に速度を出すのに適しているよね.え?化石もそういう外形しているの?じゃあ,それで良いじゃん」

……というのが,おそらく本音です.

機能形態屋にとっては,化石記録(形)は物理的なデータに即するか即していないか(自分のモデルが合っているか,合っていないか),の判断基準でしかないのです.言い換えれば「無限の物理モデルから(特定の機能にとって)都合のいいものを選び出して,そのうち,実際の化石記録と整合性の取れたものが,比較的モデルとしてマシなんじゃないの?」という思想なわけです.

多くの機能形態屋もどきの素人は「こんな化石が出た」という事実からスタートして,「こういう機能を持っていたに違いない」という論法を使います(例えば,角竜には立派な角が生えていたから,これは攻撃に使ったに違いない,という考え方).でも,本職の機能形態屋に言わせれば,そもそも「何らかの特殊な形態」に依存してスタートする議論そのものがスペシフィックで,ナンセンスなものなわけです.なぜなら,形からは無限の機能が考え得るからです(例えば,「手」と明らかに分かる化石が出た場合,その機能に制限がつくでしょうか?「手」で攻撃することも,「手のひら」で仰いで涼をとることも,コミュニュケーションのひとつとして性的ディスプレイになることもあるかもしれません(あくまで一般論であって別に特定の人を批判してはいませんよ?たぶん……).当然,指の構造さえ許せばものを掴むこともできるでしょう).

それでは機能形態屋が何を考えているのか(自分は機能形態屋じゃないので,真実は知りませんが,端から見て何を考えているようにみえるか)というと,「とある物理場に制限を加えるために『ある形をもとにした何か』を投入して,それが,その物理場にどんな変化を及ぼしたのか?」ということのように思います(みえます).

つまり,ものを見ているわけではなくて,「もの」をぶち込んだときの観測値の変化を見ているわけです.そして,その「もの」というのは,化石記録をもとにしていることもあれば,パラメータの変化による観測値の変化を見るための,この世の中に存在しない概念上の「もの」であることもあります.

(実際はともかく一般人の抱く夢や妄想(笑)からすると)ひどい機能形態屋になると,「こんな結果が出たから,こういう形してるんじゃないの?化石記録で見たことないけど」くらいのことは平気で言うでしょう.でも,それが機能形態と言う学問です(多分,この辺は生物屋のガチな機能形態屋でも一緒のはず).

つまり,タイトルにもしたとおり「機能形態屋はかたちを見ない」ということです.

……うん.あとは本職に頼んだ!(結局,丸投げ)

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追記.

誤解しないでもらいたいのは,本当の意味で「形を見ない」のではなく,物事を検討するときに「実物」の形は議論に関係ない,ということ.なぜなら,その「実物」は古生物を扱う限り「不完全」だから.不完全なものをいくら見ても,完全なものにならないのだから(この理屈が分からない人は不定値3つの2連立方程式が解ける天才に違いない),そんなものは「概念」程度に捉えて, (言葉は悪いけど)適当な「かたち」をモデルにぶち込んで,正確ではない実測値を論じる方が発展的なんじゃないの?という考え方なわけです.そして,この正確ではない実測値と言うのが肝で……,という話は,個人的な妄想で,本題には関係ない上,追記にしては長くなるから,いずれまた別な機会に……(簡単に言うと,出てくる実測値が正確ではないことが分かっているなら,はじめからモデルを都合よく作ってやると,これまでの全生物を対照にすれば正確ではないかもしれない,ひとつの「概念上の生物」について正確な物理データが揃うと言うことでして……もにょもにょ).

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追記した記事
「機能形態屋はかたちをみない」
「暴投に返信きた」
「予定は未定」
posted by yulico at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

何もない棒に目盛りを入れるだけの簡単なお仕事です

こんにちわ.yulico です.今日は,自分の仕事に関係する愚痴をこぼします(ので,一応,閲覧注意).

僕のお仕事を簡単に説明するとタイトルに書いた通り「何もない棒に目盛りを入れるだけの簡単なお仕事」と言うことになります.もう少し分かりやすく言うと,悠久のときの中で堆積した地層がいつできたのかを,細かく目盛りを入れた物差しを作ってやって見やすくする,ということです(全然分かりやすくなっていない件).

具体的に言っても誰にも分かってもらえないと思うので,まぁ,気にしないで下さい.

その仕事のなかで,この棒(地層)に「時代A」と「時代B」の境界を引いて下さい,という問題が出されたわけです.

世の中,普通の人は知らなかったり,知っていても意識していなかったりするけれど,どんなものにも定義があります.例えば,A4 用紙というのはISO 216 が定義した210 mm × 297 mm という大きさの紙である,ということが決まっているから「A4 用紙」といえば話が通じるわけです.そして,適当な紙を取ってきて,それがどういうサイズなのかを知りたければ,確実にサイズが決まっている定義と比べてやればいいわけです.

当然,時代の境界にも定義が存在します(ここで偉い学者さんが話し合って決めています).

この会議では,

・時代の境界を「何(大抵は化石)」をもって定めるか(定義問題)?
・どこの地層を一番典型的な時代境界のお手本にするか(模式地問題)?

……などが話し合われています.つまり,世界中の人たちが,「時代A」と言った場合,どこの地層のどの化石で定義されたものなのか?……ということを明確にするために日々研究が行われているわけです.

逆に,全然時代が分からない地層の時代を決めるには,「お手本」となる地層と比べてやれば良いわけです(この「比べる」ということの困難さに関しては今回の話と無関係なので割愛します).

そんなわけで,「この地層に時代A と時代B の境界を引く」なんて言う冒頭の問題は,定義との比較をするだけの簡単なお仕事であることが分かると思います.

そう……定義さえあれば……

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時代の定義がない(正確に言うと定義はあるけれど,お手本になる地層が定められていない)ということは,決まった何かと比較すればおしまい,という状態とは違い,自分の知り得る限りの全ての情報を,自分の知り得る限りの全ての先行研究と比較して,自分なりに「定義もどき」を設定して,区分をしてやることになります(そして,それを論文として明言した時点で,自動的に自分もここに定義のひとつをプロポーザルをだしたことになるので責任が重い).

死ねと?

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正直,問題があるからと言って,定義となるものを設定していない状況を長らく続けているのはどうなのかなー,と思います.当たっていようがいまいが,取り敢えずの定義を設定しておくのもありなんじゃねーの?どうせ,人間の決めた恣意的な基準面なんだから…….

以上,こんな意味の分からない修行をここ最近続けていたから更新が滞っていたのですよ,というお話でした.

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……なんてことを書いていたら,同僚が,しかも,今日の昼に全く同じようなことを書いていた件

エントリは僕の方が遅いけど,別にパクリじゃないよ?実際,このネタは更新停止の言い訳と現実逃避に一週間くらい前から書いてた話だから…….

……うん.

同じ研究室で同じ学年の人間が同じことを同じ日に同じような個人blog に書いてるとか,マジきめえwww
posted by yulico at 18:06| Comment(5) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

修論発表会

今日は修論の発表会でした.昨年は自分の発表でいっぱいいっぱいだったので,他の人の発表を聞いているような余裕は一切なかったけど,今年はそれなりに楽しめた.

……まぁ,昨日の夜三時過ぎまで何故か修論発表のスライドを作っていたがな…….
posted by yulico at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月27日

かたちでわける話の続き

昨日の記事に関する同僚コメントが上がっていたので,簡単にコメントしておきます.……というか,昨日の記事の末尾で敢えてボールを放り投げていたので(暴投ともいう),突っ込み待ちでした.

あえて彼と意見が違うところを挙げるとすれば「形態分類は生態や進化と相関しない」という部分で,そこんところは「形態分類は生態や進化と相関するかどうかわからない」くらいにしておきたい.


多分,これに関しては意見は違ってないと思うのだ.

「形態分類は生態や進化と相関するかどうかわからない」って書いても良かったんだけど,それじゃあ,あんまり格好良くないから……というのと,同僚も触れているように,

コレには,同じ古生物系研究室に所属しながら,彼の専門が paleontology/stratigraphy である一方,私の専門が paleobiology だというのが影響しているんでないかと思う.


……という対比を期待したから.同じく「古生物」っていう括りでもこれだけ立場表明に差があるっていうことを書きたかったわけです.

んで,

そんなことより,一応名目上同じ研究室に所属しながら必ず相関すると言いきってしまうような適応主義者らしき人がいるというのが,これまた大いなる謎.


これがあって,こちらのコメント

古生物学というのは,今の非生物を過去の生物の痕跡として解釈する学問だと思っている.


ある種の性質とその成因に一対一対応がある場合もあるが,それでもやはり分類基準を性質ではなく成因にすり替える必要はないと思う.


……というわけで,結局いいたいことは同じなのですよ.本来,古生物に携わるものとしてはこのくらいシビアに「物」の扱い方に考察すべきであって,それが出来ない(または,楽な考え方をしたい)可哀想な脳みそならば死んだ方がマシですし,自分がもしそうなったら死にたい,ということ.

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追記記事
「機能形態屋はかたちをみない」
「暴投に返信来た」
「予定は未定」
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2009年01月26日

かたちで分ける

こんにちわ.yulico です.

一つ前のふざけた記事で「科学的に形態で分ける」という話に触れたのでついでに書き記しておきたいことがあるので書きます.あくまで個人的な立場表明です.

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私の専門の一つは(微)古生物学ということになっています.もちろん,メインは地質〜層序なんですが,化石取り扱い者なので分類屋でもあるのです.

古生物学というのは,まさに「科学的に(?)形態を見る」ことが本質です.ぶっちゃけ,こういう生き物がどうだったとか,この時代はこういう環境だったとか,そう言う議論はおまけです.本質的には記載することが目標なので古生物学と言うのは形態分類学と言い換えることも出来ます.そもそも一般的にメジャーな古環境とか古生態とかの議論も形態分類の結果ありきですから…….

で,実は,この「科学的に」という言葉がくせ者でして…….一般的に広く誤解を与えている気がするのです.

そのことに関連した最新のニュースとして偶然下記のようなものをみつけました.それがまさに今回話題にしたいような,古生物学とか形態分類にまつわる諸要素が濃縮したような面白いものだったので紹介します.

URL は載せておきますがどうせすぐに流れるので引用転載します.

姿は違うが…親子と判明 3 科の深海魚、DNA ほぼ一致
http://www.asahi.com/science/update/0124/TKY200901240035.html

姿は違うが…親子と判明 3科の深海魚、DNAほぼ一致

 これまで別ものとされてきた深海魚の三つの科が、ひとつにまとめられそうだ。日米豪の国際研究チームが、3科が成長とともに姿を大きく変える魚の子ども、雄、雌にあたることを明らかにした。英専門誌バイオロジー・レターズ(電子版)に発表した。

 キンメダイに近い仲間のリボンイワシ科、ソコクジラウオ科、クジラウオ科の3科で、それぞれ体長の5倍以上もある長いリボン状の尾、肥大した嗅覚(きゅうかく)器官、クジラのような顔つきといった特徴をもつ。

 見直しのきっかけは、チームに加わる千葉県立中央博物館と東京大海洋研究所などが03年に発表した論文。魚類100種のミトコンドリアDNAの塩基配列を比べたら、リボンイワシ科とクジラウオ科にほとんど差がなかった。この結果に米豪の学者から疑問が出されたが、共同研究により、ソコクジラウオ科まで含めた3科のDNAにほとんど差がないことがわかった。

 世界中の標本を調べると、リボンイワシ科は成熟個体がなく、ソコクジラウオ科は雄ばかり、クジラウオ科は雌ばかりということも判明。チームは3科をクジラウオ科に統一するよう提唱する。

 魚で親子や雌雄の姿が違うことは珍しくないが、同館の宮正樹・動物学研究科上席研究員は「この仲間の姿の違いは魚類学者の想像を超えていた」という。


元の論文にちゃんと当たる余裕がないので)この記事と元の論文のアブストのみからの判断になりますが,要は,これまで形態で分類していたら三つの科に分かれていたものが,形態比較とDNA で見たら一つにまとめられそうっていう内容です.なんか,このニュースの書き方だといままで三つの科に分かれていたものが一つの種にまとまったかのように見えますが,そうではなくて「今までは一つの科(Cetomimidae)のオス,メス,幼体の一般的な形態を大分類で三つに区分してたんだよー」という内容です.ようは「オタマジャクシとカエルを別な生き物(分類群)として扱ってたけど,実は一つの生き物の幼体と成体でした」というようなニュアンス.オタマジャクシの例えと違って,そもそも観察した総個体数が圧倒的に少ないからこれまで解らなかった,と言うことです.

例によって例のごとく,外人が筆頭著者なのに日本のニュースだけまるで日本人が研究しているかのように書かれていますが…….まぁ,今回の件は元々この論文(リンク先は大学等の論文閲覧可能な環境のみ)が発端らしいので良いかと思います.

このニュースに関連して言いたいことは,形態分類という学問の上で形態を見るということは,単に幾何学的な特徴を見ているのであって,決して何らかの機能や運動の表現形を見ているのではない,ということを肝に命じておくべきだということです(あくまで,形態分類に関してね.機能形態学っていう概念はまた全然別の話なので今回は置いておきます).当然,形態分類と名乗って,ただの「形」を記載している限り,今回のような実際の(より正確な言い方をするなら生物学的な意味での)分類との齟齬は生じ得るわけです(ここで勘違いされると困るのは,だからといって形態分類に意味がないわけではないと言うこと.DNA のシーケンスを使った,厳密な意味での分類っていうのは当然大事なものなんだけど,それすら形態的なものを反映した「なにか」であるのは事実なので……/後述).

なんでまたこんな見解を今更(そう,今更です)表明する必要があるのか,というと,根本的に「形態分類」という概念がよく分からなくなっている人が多く見受けられるからなのです.誰とはいわないけれど,これから修論を提出しようって人間がよく解っていない辺り「どーなんだろ?」とか思うわけです.そんなレベルなら,一般の人の理解なんて推して知れます.

例えば,上記のニュースを見た人は「形態分類なんて間違いだらけのものと違って,DNA って凄いんだな」とか思うのでしょうけれど,「DNA っていっても所詮ただの形態だっていう事実に気付いているのかしら?」と思ってしまいます.単純に形の違いが「見やすい」からDNA を見るのであって,本質的な思想は「形態分類」そのものなんですよ,DNA のシーケンスってのは……(基本的には,DNA の塩基対が違う→コードも違う→具体的にどこかはよくわからないけど,何かの表現形が違うだろう……という論理).だからこそ,今回の論文のように,DNA のシーケンスだけではなく形態学的な検討がついていないと分類の位置は動かないのです.

で,本題の形態分類の話です.

古生物学の場合,見るものは過去の生物の残骸です.よって,得られる情報が限られてきます.当然,ほとんどの有機物は腐敗し,通常,骨だとか殻だとかいう無機的なものしか残っていません(僕のやっている化石はその中では凄く変わっていて,有機質の膜が化石として保存されています.これは,この生き物の殻が,偶然,腐りにくい有機物だっただけなので,こういう例は本当に稀です).その無機的なものですらも,長い地層中での続成作用(ようは元素の移動や置換)によって元々のものとは変わっていることがあります.さらに,それらの残骸は,地中で巨大な圧力を被り,多くの場合はひん曲がっています.

そう言うことが前提にある以上,古生物を扱うには基本的に「形を見る」必要があります.そして,同時に「慎重に形を記載する」必要も出てきます.普通に脳みそが入っていれば当たり前に理解できることです(と言いつつ,本業でそれを勉強している人間の中にもそれを理解していないおバカちゃんがいるのですが……).

それで,重要になってくるのが学問に参加する人間の「もの」に対するスタンスです.

(ここまでは一般論.以下は,冒頭でも述べたようにあくまでこれは個人的に古生物学に対峙する時のスタンスに関する表明なので,断りのない限り「僕個人のスタンス」という意味です)僕の場合,

「古生物は(人為的な)特定のルールや条件の元,形態によって分類されるべきである」

「古生物の形態分類は自然分類ではないし,その形質は機能や生態と相関しない」

「自然分類を反映しない形態分類は生態や進化と相関しないからこそ,算数の対象として扱うことができる」

「統計的に有意なものは有意である(と同時に経験的な認識は統計的にも有意である)」

……という四つにまとめることができる(と言ってもいま書きながら適当に考えた項目なので色々遺漏はあると思う).大分,微古生物学的な見地に依っているし,他人から見ると極端に見える思想ではある(かもしれない)けれど,あくまで僕の個人的なスタンスなので問題はないでしょう.誤解を生みそうな表現が多々あるけど,別に誤解されて困ることはないしねぇ.

大分,長くなっているのでそろそろまとめます.

結局,僕の言いたいことは「分けるということは分かるということではない」ということです.分類は分類であって,なにかを解釈した結果ではありません.ちょうど,古文の「品詞分解」と「読み下し」の関係と似ています(この場合,分けた品詞には対応する意味があるから完全に同じ例ではないです).品詞分解できるということは,その文章を読めるということではないですよね?

結論:多分,某掲示板の住人であるRIBON-Y くんの望むような成果は古生物学からは出てこない.

「古生物と形態」にまつわるもう一つの柱であるところの「機能形態」に関しては,(基本的に興味がないし)僕がなんかをいうまでもなく,同僚が専門で色々書いているのでそちらを参照すると良いと思います.

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追記記事
「かたちでわける話の続き」
「機能形態屋はかたちをみない」
「暴投に返信来た」
「予定は未定」
posted by yulico at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月16日

先人(先行研究)は平気で嘘を吐く

こちらはmixi(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1023501207&owner_id=2088510)からの転載ですが,一つ前の記事と同じような科学哲学のお話です.

この二つ(「先人は平気で嘘を吐く」と「妄想は実証に先立たない」)は,昨日,なんということもなくほぼ同時に思いついた「名言もどき」なので,宣伝して流行らせようと思います.皆さんも,これを読んで気に入って頂けたら使ってみて下さい.

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この言葉の真意は三つあります.

第一に「先人が嘘を吐いたわけではなく,その後の研究の進展でかつての正論が嘘になることもままある」ということ.

これはごく当たり前のことで,例えば,地球科学の分野においては,プレートテクトニクスの理論が成立する以前の論文は,先人自身が嘘を吐く気がなくても,地向斜造山論という嘘を書いてしまっていることになります.つまり,論文の書かれた背景を無視して論文を読む事は出来ない,という戒めです.

第二に「実際に先人が,(当時の常識・背景を鑑みても)嘘を吐いていることが本当にある」ということ.

先人は自分ほど慎重に議論を進めていたかどうか解りません.また,先人は自分よりも遥かにおっちょこちょいの慌てん坊で,データの解釈を勘違いしているかもしれません.更に,先人は自分より遥かなお馬鹿さんかも知れません.

第三に「先人(研究者)は確信犯の嘘を吐く」ということ.

これには少し重要な問題が含まれるので,後日,別に書きますが,簡単にいうと,有限の結果(真実)からは,唯一の真実を語ることは出来ないし,語る必要もない,ということ.

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以前書いていた「環境問題(笑)」シリーズみたく,「科学哲学(笑)」シリーズっぽくなってきましたが,まだまだ,書きたいことがあるので,このシリーズはしばらく続きます.

取り敢えず,現在のところ想定している今後の予定(は未定)は,

「研究者は確信犯の嘘を吐く」
「モンスター倒してレベルアップ!〜経験値のため方〜」
「美しい嘘を吐くために僕らがすべき最低の準備」

……です(タイトルは気分次第で変わると思います).
posted by yulico at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

妄想は実証に先立たない

おはようございます.yulico です.

更新が滞っていましたが,僕は元気です(……と言いつつ,昨日まで風邪で倒れていたわけだが).更新が滞っていた理由は,普通にリアル生活が忙しかったからで,特に面白い理由はありません.

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※もの凄く久し振りに更新するというのに,研究に関する訳の分からない抽象的な話を書く気満々ですので,興味のない方はスルーして下さい.

閑話休題.

先日,自分のここ四年間のライフワーク的に続けていた研究がある程度終わりました.まぁ,「終わった」と言ってもあくまで自分のなかでのことなので,これからちゃんと論文にして,ちゃんと発表しなければならないことではあるのですが,それでもある程度完成が見えてきたので嬉しいところです.しかも,ある程度,自分の妄想していたストーリーが支持されたのでちょっとハイになってます(ので,大多数の読者様に興味がないことは解っていながら).

そもそも,この研究自体は,四年生の時の右も左も分からなかった頃に指導教官から天下り的に(言い方は悪いけど)押し付けられたテーマで,研究しはじめの頃は,正直,何を目指していいのかもよく解っていませんでした.正確にいうと,押し付けられたネタの意味は理解できるのだけれど,そこから先に何を見据えればいいのか,という部分が見えていませんでした.

そんな状態から,少しずつ結果を積み重ねて,何かが解った気になり,解った気になると,別なことが気になりはじめ……,という繰り返しで,徐々に論文を育てて行き,今回,ようやく諸問題にケリがつき,ある程度の到達点にきました.細かい内容は退屈な上に書いても仕方がないので書きませんが,最終的には,当初想定していたテーマから大きく外れて,やたらと壮大なネタに結びつくことが出来るようになってしまいました.四年前の自分の状況から見たら信じられない仕事です.

閑話休題.

そこで,本題の「妄想は実証に先立たない」話です.

この研究をはじめた頃は,今回至った結論のことは妄想としてすら頭にはありませんでした.まぁ,単純に脳みそが足りていなくて物事が解らなかった,と言ってしまえばそれだけの話なのですが,それ以上に何よりも「経験値」と「結果」が不足していたように思います.そして,研究を進めて,物事を解決して行く上でこの二つの要素が非常に重要だと言うことに気付きました(って書くとバカっぽいんですが,実感を伴って理解できたのがここ数ヶ月という愚か者なので,自省をこめて敢えて書いておきます).

経験値に関しては,単純に経験を積まなければ何ともならないものなので(いずれは書くとして,ひとまず)ここでは置いておきますが,結果の重要性について少しだけ.

自分自身,昔は勘違いしていたことなのですが(特に学部生のころはかなり勘違いしていた気がします),妄想は結果がなければできないことだと言うことが今回の研究全般で気付いたことです.勘違いしがちなのですが,妄想は実証に先立ちません.つまり,順序として正しいのは,「妄想→実証(結果)」ではなく,「結果(実証)→妄想」ということです.言い方を変えると,結果がある程度揃わない限り,(研究における最低限の)妄想すら成り立たないと言うことです.

自分の専門なので地質の話を例に出しますが,前提になる研究の一切ない地域の地質を検討する場合,はじめは如何なる妄想も成立しません(逆にそれ以前に十分な研究が行われていれば,妄想から入ることもできなくはない).妄想が成立しない替わりに,研究の入り口では,「自分の手法(僕の場合は渦鞭毛藻の層序と群集解析)」がものを言います.自分の手法で,その地質帯を取り敢えず検討してみることで,はじめて「妄想」の下地ができます.実は,(勘違いしがちなのですが)その検討以前に何かの考察を挟むことは(本来)できません.それが出来たとしたら,その人は宇宙意思イデと交信できる人か,そうでなければただのバカ(か紙一重の超天才)です.

サイエンスにおける妄想とは,あくまで自分の脳みそを使って,情報(結果)を自分で勝手に論理で制御した嘘です.逆に,結果(実証)と言うのは,とある検討に対する自分とは無関係に生じる真実です.つまり,何がいいたいのかと言うと,真実(結果)があってはじめて嘘(妄想)が嘘(妄想)になりうる,と言うことです.逆にいうと,美しい嘘を吐くためには,厳密な,バイアスのない真実(結果)を得ることが出来なければダメと言うことです(真実から美しい嘘を吐くことについては,また後日).

結論:真実はいつもひとつだけど,無限の嘘を生むこともできる.
posted by yulico at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

十日振りの札幌

こんにちは.yulico です.十日振りに札幌に戻って参りました.

ええ,この寒い中,調査に行っていたわけです(……なんか年々,調査終了の日程が遅くなっている気がします).よって,前々回の日記で発表した「禁煙トトカルチョ」の商品発送も足寄町から行っております.受け取られた皆様(といっても二名の方々),私は札幌在住であって,足寄町在住ではないのでご注意下さい(何を?).

そんなわけで,調査に行って来たのですが,今回の調査はサンプル採集強化月間だったので,実質調査期間一週間(雨で一日半潰れたため)で,3〜4 kg の泥質岩試料を143 個採集してきました.我ながら狂っていると思います.

以下,今回の調査期間中の記録ノートに記載されていたつぶやき的なものの抜粋です.順不同です.

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自分でも一番びっくりしたのが調査にかかる時間がもの凄く早くなったこと.以前(学部生時代)だと一日掛かっていた距離(およそ500 m)の調査が二時間で終わるようになってましたね…….一応,これでも成長しているんだなぁ…….

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取り敢えず,フィールドに熊が多すぎて笑えた.一緒に入った後輩が,「熊の糞なんて,今回の調査ではじめて見ましたが,今日一日で見慣れました」とか初日で言っていたが,この山に入り続けて三年の私ですら,この沢でこんなに熊の糞を見るのははじめてな件.

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毎日,サンプルを担いで4 km も歩いているといつの間にか10 サンプル(大体30 kg くらいか?)程度しか持っていない日は「楽な日」と感じてしまう不思議.

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アメマスを二匹,手づかみ(タオルも利用)で捕まえました.子持ちだったので魚卵はしょうゆ漬けにし,体はキャンプ場で焼いて食いました.おいしかったです.

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雨なので,前半戦に採集したサンプルをまとめ,学校に発送.運送屋に引かれる.

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午前中に雨が降ったので,某そば屋へ.相変わらず最強に美味い.

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不整合をみつけて狂喜乱舞.
長尾先生と一緒に写真を撮る.

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まぁ,地質調査ってこんなカンジ?
posted by yulico at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | おべんきょう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする